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 はじめに。同衾というキーワードで来られた方は読まない方がいいです。この記事は主旨が全く違うと思いますので。 因みに同衾とは、「男女が一緒に寝ること」という意味です。


 同衾シリーズ第二弾。前回の記事で同衾が外国語を覚える有効な手段であることを書いたが、今回の課題は大袈裟に言えば文化。もっと言えば中国女性の羞恥心で、さらに言えば中国風俗嬢のそれということで書く。笑っちまうが真面目に行きます。

注 :  前回と同じく今回の記事も、97年と2005年の中国での体験が元になってますが、前回と同様に下品な文章で、誰でも安心して読めるかどうかは分かりません。


 これに初めて気づいたのは、97年に訪れた雲南省の河口(hekou/ホーコー)という街だった。雲南の河口と聞いただけでピンと来た人には説明不要だが、事情の分からない方に言うと、97年頃の河口は一部の男性旅行者にとって、あの頃のプノンペンと似た感じの買春沈没地の佇まいがあった。

 ベトナムと国境を接した河口の川沿いの一角にベトナム人の市場があり、バラックのような軒の低い木造家屋の雑貨店に混じって、いくつかの髪廊(falang/ファーラン。一般には美容室の意)があった。実際に美容室のような店もあったかもしれないが、その多くは風俗店だった。いや、風俗店というより、売春小屋と言っていい外観だった。

 そこで働く女性達の多くはベトナム人だった。プノンペンの売春小屋にも多くのベトナム人がいたが、彼女達の多くがメコンデルタの出身だったのに対し、河口で働く女性達にはベトナム北部の出身者が多かったのが興味深かった。というより誰に訊いてもホノイから来たという答えが返ってきたが、実際にはハノイ近郊の町や村の出身だったと思う。 因みに料金は50元くらいと安く、これが填まる理由の最たるものだったが、この記事の本筋とは全く関係ない。


  外国人が働く風俗店の存在は国境の街の特色と言ってよかったが、河口には他の多くの中国の街と同じく、中国女性が働く普通の風俗店があった。こちらの方は料金が200元くらいとぐっと高くなるが、店が多少は小綺麗ということ以外に、四倍ほどの料金差を納得させる要素に乏しかった。やはり人種というブランドが全てだったと思う。
 
 河口に着いた初日の夜、さっそく同じ宿に泊まっていた日本人、オーストラリア人(言うまでもなく二人とも男性)と一緒に出陣した。目星をつけた店は都営住宅のような殺伐とした建物の二階にあり、もちろん表向きは髪廊だった。表向きだけではなく、実際に散髪台があるなど理容室のような内装で、確か三回目に行った時に、ここで洗髪して貰っている昆明(kunming/クンミン)から来た若い男性旅行者に出会ったこともあった。一般の床屋との最大の違いは、深夜に渡って営業していたことか。
 
 西安出身の老板(laoban/ラオバン。この場合は娼館の若女将といったところ)が切り盛りする店内には、三人の若い女性がいた。二人はそれぞれ昆明とハルビンから来た中国人で 、もう一人は越南(yuenan/ユエナン。ベトナムの意)とのことだった。三人それぞれに料金が違っていた。確か越南が150で昆明が200元。一番高かったのが色の白さが際立った300元超のハルビンで、老板に理由を訊くと、「好看(haokan/ハオカン。見映えが良いといった意味)」とのことだった。

 この序列には概ね納得したが、オーストラリア人が選んだのは、タイでいうならイサーンの実家に幼子を預け、パタヤのバービアにいそうな感じの色黒鼻低の越南人だった。多年に渡る欧泰カップルの観察経験からこの嗜好には気づいていたが、これも記事の本筋とは全く関係ない。


 前置きが長くなったが、ここからが本題。この店に二回目に行った時に指名した昆明小姐(xiaojie/シャオジェ。一般には若い女性の意)の振る舞いから、二つの事に興味が湧いた。はじめこの子のパーソナリティかと思ったが、後に填まった瑞麗(ruili/ルイリ)の赤線女性達も同じ傾向を示したので、少なくともあの頃の中国風俗嬢の特徴と言っていいと思う。
 
 個人差および店の趣向にも依るが、日本の風俗嬢が個室に入って服を脱ぐ場合、大抵は後ろ向きになる(あ、真面目な話です)。やはり前のパーツが恥ずかしいからで、男性から見れば、はじめに目にする女性の裸が背中だったりする。ついでに言えば、脱ぐ際に少し部屋の隅に行ったりするのも、日本風俗嬢の特徴と言えた。

 翻って僕が出会った中国風俗嬢は真逆と言ってよかった。こちらに背中を向けず後退りすることなく、正面を見たまま堂々と脱ぐ子が多かった。部屋の隅に行くなど論外で、何処のパーツが恥ずかしいとかいう以前に、全く別の潜在意識が働いているのではと思ったほどだ。敵に背中を見せないとか。

 次に気になったのは、裸にはなるが靴下は穿いたままだったことだ。この素っ裸に靴下というシチュエーションは、見方を変えればイメクラみたいで悪くはないが、これには三つの理由が思い浮かんだ(あくまで真面目な話です)。

 一つは単純に床が汚いから。 屋内土足が普通の中国では、靴下以前に靴そのものを脱ぎにくい。脱いだ後の足の置き場がなく、そのままベッドに上がるか、開き直って床に着地するしかない。しかし素足で踏むには、何処に痰と小便の痕跡があるか分からぬ中国の床は、あまりに汚い。そこで万が一に備えて、靴下という防備を纏うというもの。

 二つ目は、そもそも脱ぐ必要がない。確かに靴下を穿いたままでも業務に支障はないが、これはどうですかね。

 三つ目は、素足に対する特異な羞恥心。中国人と素足といえば纏足が浮かぶが、これはどちらかといえば男性が女性に望んだもの。そして男性達の嗜好に反応するように、次第に女性達にも素足に気を遣う習慣が広がったと勝手に想像している。  
 裸に靴下の組み合わせは、素足に対する羞恥心の現れだろうか。そうだとしたら話が面白くなるのだが、もちろん確証はない。

 ところで話は違うが、90年頃からバンコクのカオサン通りで目につくようになった韓国人旅行者の特徴の一つが、靴下を穿いたままの踵付きサンダル履きだった。女性については分からなかったが、少なくとも男性の多くはこのスタイルだった。 これも素足に対する何某かの思いが為したワザだろうか(それとも単に痛いからか)。


 時代は変わったかもしれませんね。2005年に中国に行き何回かの風俗体験をしたが、脱ぎっぷりこそ同じだったが、裸に靴下の場面には一度も出会わなかった。理由は至極単純で、事前にシャワーを浴びるからである。  

 97年の頃にもシャワー付きの風俗店はあったと思うが、僕が行った店は、すべからず施設そのものがなかった。但し水場はあり、服を着たままの女性がしゃがんだ姿勢で、洗面器に入った水を掬いながら洗っているシーンを一度だけ見た記憶がある(そういう意味では事前と事後の水浴びが必須といえるタイの娼館の方が、遥かに衛生的と言える。これは売春インフラの充実というより、単に沐浴の習慣の違いだと思う)。

 いくら素足を晒すことに恥じらいがあったとしても、さすがに靴下を穿いたままシャワーは浴びない。浴びた後に靴下を穿き直すというのも馬鹿な話で、そのままコトに向かうのが常だった。これは素足を晒すことに抵抗感が失くなったというより、基本的な衛生概念の啓蒙がシャワー施設の普及を促した結果だと思う。 

 素足に対する羞恥心は、同衾で覚えた中国文化の一つだと思っていたが、現代では通用しないかもしれませんね。

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