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 例えば東南アジアで金銭の支払いをした時、こういう経験をしたことがないだろうか。

 代金が35バーツだったとする。小銭がないので100バーツ出した。すると受け取りながら店員が、"Thank you"。

 一瞬うっとなる。「まだ釣銭が…(釣りはチップじゃないよ)」などと不安になる。もちろんその後に釣りはくれるので問題ないが、この行動様式が分かっていても、未だに不安になることがある。

 日本のコンビニでは客がお札を出した時点では、「ありがとう」とは言わない。あくまで釣銭を渡し、全てが終了した時点で、「ありがとうございます」となるのが普通である。

 何ていうか位置というか、"Thank you"の時期が微妙にズレるのだ。もちろん正誤ということではなく、これも言語習慣のひとつに過ぎないが、逆にいえば日本に来た外国人が買い物の際に万札を出し、店員が「ありがとう」とは言わずにレジに仕舞う瞬間に不安を感じることがあるのではと想像すると可笑しい(考え過ぎですかね)。

 それでは日本のように釣銭を渡しながら"Thank you"と言われればよいかというと、別の意味で不安になることがあるが、これはまた別の話。

 同じ意味の日本語でもそうかもしれないが、ことによると"Hello"よりも使う頻度が高いかもしれない、"Thank you"を巡る旅の話です。



 数え切れないほど言ったはずの"Thank you"だが、あまりにありふれたフレーズのためか、場面と共に覚えていることはほとんどない。僅かに記憶にあるのも世話になって礼を言った場面より、上の例のように意外な形で使われた場面がほとんどだ。そんな話をもうひとつ。

 2007年に訪れたクロンココンでの話。人の写真が撮りやすい印象のあるカンボジアの中でも、とりわけフィルムが進んだのが、この運河沿いの街だった。子供だけでなく大人までもが笑顔で応じてくれ、国境特有の猥雑さとは裏腹に、ここは天国かと思ったほどだ(ホントです)。

 何時ものように町人と挨拶が交わしながらシャッターを切っていると、バイクに跨がった少年がこちらを見ているのが目に入った。夕餉の買い出しだろうか、前籠には丸のままの鶏が一羽入っていた。

 これはいい図だ。芸がないが、「おつかい」とか、「僕の担当」といったキャプションが浮かんできた。で、軽く会釈しシャッターを切ると、彼が一言。

"Thank you"

 人の写真を撮ってサンキューと礼を言ったことは何度もあるが、撮られた側から言われたのは初めてだった(カメラを受け取りシャッターを押してあげたといった場面は別)。

 この"Thank you"が心に残った理由は、意外な場面だからだけではない。訊いたわけではないが、おそらく少年は英語を話せない。しかし僕を外国人と認め、外国人にはこう言うんだという、一種の道徳めいた意識が働いたのではと思っている。本質そのものは、旅行者を見つけた子供が、"Hello"と言うのと大して変わらない(考え過ぎですかね)。

 どちらにしても、旅先で"Thank you"と言われるのは、いいものですね。とりわけ市場の小母さんとか田舎の雑貨屋の娘さんとか、見た感じ英語が出来そうにない人から言われる"Thank you"は。
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忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。
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