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 はじめに。「同衾」というキーワードで来られた方は読まないほうがいいです。この記事は、趣旨が全く違うと思いますから。
 因みに同衾とは、「どうきん。一つの夜具に一緒に寝ること。男女関係についていうことが多い。ともね。goo辞書より」という意味です。



 確か開高健(かいこう・たけし)さんだったと思うが、外国の言葉を覚えるには、その土地の女と寝るのが一番といったことを言ったと思う(要旨は合ってると思いますが、細かな部分は異なっているかもしれません)。僕自身は開高さんの本は読んだことがなく、名前以外は作品や思想といったことは全く知らなかったが、この部分に関しては確かにそうだなあと思うことがあった。かってアジアを旅していた頃、僕もタイ語や中国語を覚える上で、同衾の経験が少なくない部分を占めていた。 

 では思い出しながら、その実例をいくつか。今回は中国語。開高さんの場合は知らないが、一般の男性旅行者が最も安易に現地女性と同衾できる場面は売春である。今も大して変わらないと思うが、社会主義国たる中華人民共和国でも、その方面では日本の風俗産業に負けず劣らず盛んだった。で、さっそく試してみた。

注: 以下の記述は97年の瑞麗(ルイリ 雲南省)と、2005年の陽朔(ヤンシュオ 広西壮族自治区)での実体験が元になっています。実際に耳にした単語を羅列しますが、かなり下品な文章で、誰でも安心して読めるか分かりません。



怎么样/zenmeyang/ゼンモヤン? 
 まず中国語のピンインの「e」は、英語の発音記号の「⋀」に似ている。よって発音の表記はカタカナでは無理があるが、「ゼンメヤン」ではなく「ゼンモヤン」に近い。
 正にインサートした瞬間に小姐/xiaojie/シャオジェ(一般には若い女性を指すが、この項では風俗嬢)が言った。「どう? どんな感じ?」といったところか。

不要/buyao/プーヤオ 
 ひらたく「要らない」といった意味だが、この場合は「やめて」。ただ小姐が本当に嫌がっていたかは不明。

舒服吗/shuhuma/シューフーマ?
 通じるかと思って訊いてみると、返って来た答えが、「太舒服了/taishuhule」。「気持ちいい?」「すごく気持ちいい」といったところか。

快点,快点/kuaidian kuaidian/クワイデン、クワイデン
 これもインサート時。小姐が僕の腰を叩きながら、「早く、早く」。より気持ち良くなりたかったためか、時間を気にしていたかは不明。

没看过/meikanguo/メイカングオ
 その当時の僕は小銭はポケットに入れ、50元や100元札といった大金は、首からぶら下げる貴重品袋に入れていた。で、その貴重品袋を見た小姐が驚きと笑いを込めて言った。「私、見たことない」

 因みに経験を現す現在完了と僕が捉えている「过」だが、タイ語には似た感じで、「クォイ(コエ。クイ。この辺りのカタカナ表記はいい加減です)」という語がある。タイ語も中国語も同じ「シナ・チベット語族」で実際に似ているのだが、この部分に限っては語順が逆になるのが興味深い。「行ったことがある」は、中国語では「去过」と動詞が前に来るが、タイ語では「クォイパイ(パイは行くという意味)」と、動詞が後に来る。

 もう少し話を続けると、否定を現すタイ語のマイは、漢語の没/meiが語源ではないかと思っている。しかし中国とタイの間にあるラオスでは、同じく中国語の不/buが語源と目される「ボッ」が否定語となっている。僕が見た感じ、タイ語のマイとラオス語のボッは、ほぼ同じ意味合いで使われる。ただし中国語の没と不は同じ否定語ながら、ニュアンスが微妙に異なる。

你的钱包/nideqianbao/ニーダチェンバオ
 その貴重品袋を指して小姐が一言。財布が銭包と言うのを初めて知った。なぜ日本語では財布で、中国語では銭包なのか。興味深いですね。

帮你/bangni/バンニー
 コトを終えた後小姐がシャワーに行き、所在無げにベッドに寝転んだままチンポコを弄っていると、シャワーから戻って来た小姐が一言。「(代わりに)私がしてあげる」といったところか。

不敢/bugan/ブーガン
 しかしフェラチオは拒否した小姐が言った。「出来ない」といった意味だが、同じく出来ないといった意味の不行/buxingや不可/bukeではなく、なぜこの場合は不敢なのか。因みに(生理的に)刺身を食べることが出来ないといった場合にも不敢を使う。

好累了/haoleile/ハオレイラ
 コトが終わった直後に、通る声で小姐が一言。こう聴こえたのは事実だが、ちょっと解釈には自信がない。訳が正しいとすれば、「気持ちよく疲れた」といった意味か。
 昔読んだ金子光晴さんの詩だか随筆に、疲労と快感を組み合わせた一文があったのを思い出した。

 ここまで読まれた方は、コイツ何を書いてるんだ、頭がオカシイんじゃないかと思われただろうが、開高さんの真意ではないかもしれないが、同衾が語学を覚える手段の一つという実例を示しただけということで。こうやって真面目に書くと、場面が場面だけに下卑た感じになってしまうのは仕方がない。
 中国語を齧った方なら分かると思うが、上述した事例は初歩的な会話集に出てくるフレーズばかりである。でも、こんな場面でも使われるということは、覚えていても損ではないと思う。
 やっぱり開高さんが言ったことは正しい。

同衾シリーズ第二弾はこちら

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