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 もしこんなアンケートを日本と途上国で取ったら、真逆の結果が出るだろうと思われる設問がある。例えば、「手で車を押したことがありますか?」とか。
 
 むかしケニアからウガンダに入った時、入国審査を終え客引きに連れられるままに、近場に停まっていた乗り合いのタクシーに乗った。いざ出発という段になって、周辺にいた男達が僕達八人(運転席二人。助手席一人。後部座席五人)が乗った車の背後に回り、一斉に押し始めた。押しがけである。そして、しばらくは調子よく走っていたが、やがてスカスカと力がなくなり、誰もいないところで車は間もなく停止した。
 
 再び押しがけとなった。僕も含めて客は降りなかったが、運転席にいた一人が外に出て、手際よくドアを持って押し始めた。どうやら彼は運転手の助手だったわけで、窮屈そうに運転席に二人いた理由がよく分かった。
 
 もちろんオートレーサーなどは別としても、押しがけそのものは現代の日本でも絶無ではない。とはいえ僕が子供の頃でも(おおむね昭和40年代)、バッテリーが上がってしまい押しがけというパターンを見た記憶はあるが、日常ではなく滅多にないことだったと思う。また押しがけというわけではないが、土砂災害などで泥に嵌った車が立ち往生してしまい車を押した経験のある人もいるとは思うが、どちらにしても今の日本で車を手で押すという行為は、非常事態でもない限り日常的な光景ではなくなった。
 
 この自国の日常では見られなくなったシーンを、それほど苦労することなく目にすることが出来るのが、途上国への旅の魅力のひとつですね。そして時には見るだけではなく自分も加わり、変に歓びを感じたりすることがある。


 
 生業不明の若い男も加わり男女五人を乗せたカムリは、乾季の乾燥しきった大気の中を快適に進んだ。道は白がかった砂地だったが突起は殆どなく、乗り心地は少し痛んだ舗装路と変わらなかった。この辺りの風景は熱帯雨林ではなく、中東か何処かの半砂漠のように見えた。インドシナの植生の詳しいことは知らないが、乾季ゆえに緑が乏しかったというのもあったと思う。
 
 どうも以前から思っていたが、カンボジアはアジアの中のアフリカという気がする。もちろん人の形状は違うが、営みというか走っている車はボロだし、隣国に比べて停電は未だ健在である(2007年1月現在)。そして何より緑と赤土の眩いコントラストが、嘗て旅したアフリカの真珠ウガンダに瓜二つに見えた。これで女性達の腰巻の色彩が派手だったら(カンボジアは少し地味ですね)東アフリカそのものだし、今目にしている半砂漠の広がりは、同じく植生に乏しいジンバブエやボツワナの風景にも似ていた。
 
 やがて道は(おそらくは)幹線道路の手前で急な上りとなった。何となく嫌な予感がしたが、やはり最後の一歩でカムリは頓挫した。「さあ、みんなで押しましょう」という馴染みの展開である。すかさず女性達は嬌声を上げ、僕達四人は車の背後に回った。そして小太りカムリの掛け声に合わせ、車輪が生み出す砂埃に塗れながらも、楽しくてしょうがないという感じで車を押し続けた。これぞトラブルを愉しむアジア旅、ですか。
 
 乾季のためか水量がモノを言う滝そのものの迫力は今ひとつだったが、ところどころにプール状の滝壺があり寝転がるのに適した大岩があるタタイは、南国の自然に浸るには完璧の場だった。何より周囲が緑に囲まれ、無粋な売店やチケット売り場がないのがよかった。チケットはともかく売店や食堂などの存在は便利ではあるが、これらの人工物が視界に入ると、どうしても自然度が薄められてしまう。
 
 さっそく水浴となった。もちろん水着に着替えるわけではなく僕はパンツ一丁になり、カムリは上だけ脱いで筋骨隆々の胸板を晒し、女性達は来た時のままの格好で川に入った。
 
 女性達が脱がないのは分かっていたが、小太りに見えたカムリのガッシリとした体つきは意外だった。一見したところ華奢に見える東南アジア人の体躯だが、線が細いながらも筋肉質の男性が少なくない。浅黒い肌が余計そう感じさせるのかもしれないが、女性も都市部などはそうでもないが、田舎に行くと足腰がガッシリ据わっている短く太い感じの人を多く見かける。またアレな話になるが、嘗てタイ北部の置屋巡りでアカ族の女性に当たった時、彼女は顔だけ見るとアイドルだったが、何気に触れた足の裏が鉄のように硬く、思わず息を呑んだ記憶がある。おそらく幼少というか生後十余年は、籠など背負いながら素足で過ごしていたのだろうと勝手に想像したものだ。
 
 水遊びに興じたあとは、みんなで仲良く岩場に腰掛け、菓子を頬張りながらビールとピクニック気分を満喫した。何を話しているのか分からないが、賑やかな若い男女を眺めながら、つくづくアジア旅は青春が甦る機会を与えてくれるなあなどと、しばし感慨に浸る。同年代の他の人のことは知らないが、日本でこういう場に加わることは、僕はまずない。
 
 それにしても途中から加わった若い男。カムリの友達というか舎弟のような感じだったが、誰に遠慮することなくビールをがんがん空けていくのが、気に障るといえば気に障った。「オイオイ俺が買ったんだぞ・・・」と言いたくもなかったが、とはいえ太っ腹というか、ここはオーナー気分で乗り越える。ガイドなどを雇いながら、ちょっとした社長気分に浸れるのもアジア旅ならではということで。同年代の他の人のことは知らないが、日本でこういうポジションに就くことは、僕はまずない。

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Krong Koh Kong/Cambodia 2007
 
 てっきりそのまま帰り、彼女達を送り届けたあと宿に戻るのかと思っていたが、ピクニックの後はカラオケとなった。また奴のペースに乗せられ何処かに連れて行かれるのかと警戒したが、彼女達の置屋にはカラオケ機器が備えてあり、そこでのパーティーとなった。別に真新しいことではないが、単に春買いだけではなく、置屋にはこんな過ごし方もあるわけだ。
 
 一ダースは入っているだろうか、箱に入ったままの缶ビールが運び込まれた。「これといいカラオケ代といい支払いは俺に来るんだろうな・・・」などと又セコイ思いが過ぎったが、もうどうでもいい。嫌なら帰ればいいだけの話で、そんなことを気にかけるより、クメール人のカラオケスタイルの方に大いに興味をそそられた。
 
 さて乾杯・・・の音頭はなく、みなが好き好きに飲み始めた。カムリや舎弟はもちろん、年の食った嬢(といっても二十歳くらい)も処女という触れこみの嬢も、こんな機会はあまりないのかガンガン空けまくる。大丈夫かな?
 
 ところでカラオケだが、もちろんビデオカラオケで、演歌調のメロディに合わせて民族衣装っぽい出で立ちの女性が、湖の畔なんぞを口パクしながらそぞろ歩くなど、何ていうか眠たくなるシーンのものが多かった。もちろんカンボジアの音楽に詳しくない僕が感じただけだが、そうかと思えば突然ロック音楽が鳴り渡り、一転して置屋内部がディスコに早変わったりした。そちらの映像については記憶にないが、カムリが言うには、「タイソング」とのことだった。隣国なのだからカンボジアでタイの音楽を耳にしたところで不思議でもなんでもないが、タイでカンボジアの音楽に触れたことは、少なくとも僕はない。これも一種の力関係だろうか。
 
 日本の周辺を見るまでもなく、おしなべて隣国同士というのは仲が良いとはいえない。だから国が分かれたともいえるが、カンボジアでいうなら、この後ベトナム人の悪口を何度か聴かされることになる。タイについては悪く言う人に会った記憶はないが、それでも国境にある遺跡の所有を巡る小競り合いなど、いくつか問題があるようだ。
 
 しかし日本でも一部マニアに人気があるが、タイのポップシーンはカンボジア人の心をガッチリ摑んでいるように見えた。のちの話になるが、センモノロムの宿の若い男性従業員の口から、「アイライクタイソング!」というのを聞いたことがある。その宿に附属するレストランでは、終日タイ音楽が流れていた。嫌日を露骨に現しながらも日本のアニメやポップスに魅力を感じる、韓国人みたいなものだろうか(冗談ですよ)。
 
 さて。三時間ほどの宴の対価は、しめて50ドルとなった。明細にはビールやフルーツやカラオケ機器使用料のほか、カムリの名前が刻まれているに違いない。が、これで一日が終わったわけではなかった。今宵も奴は、「毟り取り気満々」である。
 
 旅の序盤の散財が気にならなくもないが、「後は節約に徹すればいいだけだ・・・」などと、根っからのスキモノは言い訳する。それはそうと、「分割払い」を忘れないと。
 
 たぶん次がラスト。
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