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 チェンマイで借りたオフロードバイクでタイ北部をツーリングした時の一コマ。88年の末に出発した長旅も最終段階に入った、90年の3月頃の話。

 初日はドイインタノンなどを経由して、メーサリアンに着いた。泊まったリバーというゲストハウスにはフォーカスなどの日本の雑誌が置かれてあり、ここぞとばかり貪り読んだ記憶がある。ここで二人の日本人に会った。互いに一人旅で、二人とも僕と同じくチェンマイから来て、明日はメーホンソンに向かうという予定も同じだった。

 翌朝は彼らに見送られ一足先に出発。そして約束通りにメーホンソンで落ち合うことが出来た。

 タイで男三人が顔を合わせれば、やることは決まっている。というわけではないが、その晩はやっぱり、「探索」に出陣した。とはいえ三人とも情報を持ち合わせていない。が、ここからが勝負である。

 出会った二人の内の一人はニューヨークから来たらしく英語が堪能だったが、この場合は役に立たない。しかし有り難いことにもう一人の方は、独学で勉強したらしくタイ語がペラペラだった。それも鼻骨から空気が抜けるような発音までホンモノだった。たのむ、キミ。

 彼が快く地元の人から場所を聞き出し、三人で夜の通りを歩き出した。そして教えられた道を進んだが、町外れなのかどんどん暗くなり、終いには人の通りもなくなった。「ここでいいんだろうか…?」と僕と同じく、ニューヨーク帰りの彼も思ったに違いない。しかしタイ語の彼の沽券に係わるゆえ、僕達二人とも無言だった。赤線のあの字も見える気配がなかった。

 しかし光明というか、バイクの灯りが後ろから迫って来た。それも二台三台とタンデムも含めて男ばかりが乗ったバイクが、次々と僕達を追い越してゆくのだ。とてもじゃないが、この先に住宅街があるとは思えない。あったとしても、インフラ未整備の山村くらいだろう。

「ここでよかったのだ…」と僕と同じく、ニューヨーク帰りの彼も思い、タイ語の彼は胸を撫で下ろしたに違いない。彼のタイ語はホンモノだったのだ。間もなく赤線のあの字が見えてきた。



 さて。冒頭の下の写真にはバイクのリアに結えられた赤いリュックが写っているが、これは僕のものではない。その後タイ語の彼とは意気投合し、メーホンソンからパイまでタンデムツーリングとなった。その間の風景などは覚えていないが、一つだけ強烈に残っている記憶がある。

 ガス欠である。スネークロードを走行中に、急にバイクの力がなくなった。もちろん慌てることではない。しかし次の瞬間に猛烈に慌てた。バイクから降りて予備タンクに切り替えようとすると、既にノブが回っていたのだ。僕が弄った記憶はない。しかし確認ミスは明らかで、おそらくチェンマイで借りた時点で、ノブはこの位置だったのだろう。

 重い空気のまま、二人でバイクを押して歩く。車の往来が少ないスネークロードに、夕闇がどんどん迫って来た。「素直にバスで移動すればよかった…」と、彼は思ったかは知らないが、僕の沽券に係わるゆえか無言だった。灯りのあの字も見えなかった。

 どれくらい押して歩いたかは覚えていないが、やがて小さな村に着いた。幸い且つ驚いたことに旅社があった。下が雑貨屋か何かで二階が宿という、中国の田舎にあるような文字通りの旅社だった。

 薄暗い部屋の床に就く頃には、今日の苦い出来事も、すっかり過去のものになっていた。二人で怪談話に興じ、古びた部屋の雰囲気に併せて笑い震えた記憶がある。

 翌朝は無事ガソリンを入れパイまで行き、そこで泊まる彼と別れ、僕はチェンマイに向かった(ガス欠の件がなかったら僕もパイに泊まる予定だったが、バイクレンタルの期限に余裕がなかった)。そして数日後に彼とチェンマイで落ち合い食事を共にし、がっちり握手をして、僕は夜行列車でバンコクに戻った。あとは日本に帰るだけだった。



 その七年後。95年の末に出発した長旅も最終段階に入った97年の5月頃に、僕は中国の昆明にいた。安宿の一室で、彼と会ったのだ。

 もちろん約束していたわけではないが、一目で分かった。確認のため僕が七年前のことを話すと、「それがあの時のあなた?」と、彼も目を丸くした。旅人同士の再会そのものは珍しくはないが、これは凄い確率だと思った。

 驚いたのは、彼のその後の軌跡だった。七年前にチェンマイで別れた後も、インドやアフリカに行ったりアメリカで働くなどして、彼は旅を続けていた。赤いリュックもそのままだった。興味深かったのは、彼と僕がアフリカにいた時期が重なっていたことだ。もちろん会うことはなかったが、互いに知る旅行者の名前が出て、「そういえばアイツ…」などと、久しぶりにアフリカの思い出に浸ることが出来た。

「お互い老けましたねぇ…」と彼が一言。同世代に見えた彼の名前も年齢も知らないが、僕にとって二十代から三十代に入った七年間だった。そしてこの旅が僕にとって最後の長期旅行となったが、これはまあ別の話。

 偶発的な旅人との再会は何度も経験あるが、これは僕にとって間違いなくナンバーワンでしたね。
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ここのところ私事多忙にて更新が滞っています。
忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。
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