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 現在のことは知らないが、例えば90年代に東南アジアを旅していて、こういう経験をしたことはないだろうか。

 食事の代金が33バーツだとする。あいにく財布には100バーツ札しかない。そこで相手の便宜を考え、103バーツを出す。日本のスーパーやコンビニでの買い物では、ごく普通の行動である。ところが店員はにっこり笑って3バーツを返してきて、小銭を含めた嵩張る釣銭をくれた。

 もちろん間違いではないし、ましてや頭が良いとか悪いといった話ではない。しかし違和感を感じたのは事実で、大袈裟に言えば異文化に触れるというのは、こういうことなのかとも思った。

 ということで今回は、数字と計算を巡る旅の思い出話です(ちなみに上述の支払いの話だが、のちにベトナムに行った時にも同じ手法をとったが、あっさり店員は理解してくれた。かって邱永漢さんが言うところの、「農耕民族タイ人」と、「商業民族ベトナム人」との違いを強く感じました)。


 まず数字と言えば、92年にアフリカに入る直前にいたイエメンで、ちょっと面白いことがあった。その日サヌアの旧市街近くの食堂で、一緒にいた日本人男性二人で夕食をとり、支払う段になって何リエルだよって感じで、店員がディスプレイに数字が示された電卓を差し出した。互いに言葉が通じないのだから、確実な方法といえた。

  電卓に示された数字は69だった。僕が100リエル札出すと返ってきたお釣りは4リエル。? 一瞬彼が使っていた電卓は数字が右から出るアラビア語仕様ではないかと思い、慌てて彼の電卓を借り適当に入力してみたが、その日本製の電卓は普通のものだった。食事の値段が二人で96リエルということ自体は問題なかったが、彼は一体どのような思考の手順を踏んで69と入力したのだろうか。
     
  もう殆ど忘れてしまったが、アラビア語でひとつだけ憶えている数字がある。25で、20はアシュリーン、5はハムサーと発音した。なら25はアシュリーンハムサーかと言えばそうではなく、ハムサーアシュリーンと発音した。

  これが僕には面白くてしようがなかったが、この十を越える数字を一の位から発音するのはアラビア語だけの特徴ではない。英語で言うなら12から19とりわけ14と16から19までが、かなり忠実に一の位から発音する。左から読む英文の中に16という算用数字(アラビア数字とも言うが、話がややこしくなるのでここでは算用数字とする)が入っていても、この部分だけは右から発音する。ただ20以上の数字は素直というか、文字通り左から発音する。

   翻って右から表記されるアラビア語。もし文の中に漠然と算用数字が入っていたら、どちらから読むといった問題は起きないのだろうか。例えばアラビア語に挟まれて25と表記されていたら、やっぱり25でいいのか、それともやっぱり右から読む慣習に従い52の意だろうか。少なくとも15歳くらいの少年にも見えた食堂の彼が示した69は、96の意だった。

   まさかアラビア語の文章の中では数字も全てアラビア語で、(混乱を招くため?)算用数字は一切使用しないのだろうか。算用数字が左から出る電卓を使い勝手が悪いと考えているアラビア人は、意外と少なくないのではなんてことを考えたものだ(あくまで推測ですが、この時の食堂の彼は電卓で合計額を示しただけで、計算はしていなかったと思います。アラビア語の語順どおりに忠実に入力すると、96という数字は、「6 9」と一の位が先に来るわけです。店員がまだ子供だったことも関係あるかもしれません)。


 その後行ったナイロビではやや沈没し、泊まっていたイクバルホテルでの精算は24泊分となった。会計を担当した中年の男性が苦笑いを浮かべながら、少し驚いた表情をしたのが記憶にある。ナイロビに一ヶ月くらい滞在する旅行者はそれほど珍しくはないと思ったが、おそらくそういう人達は初めはイクバルなどに泊まりながら、早々と自分の場所を見つけ移っていくのだろうと思った。このチェックアウト時の出来事が、その時のナイロビの最後の思い出となった。
     
  一泊が70シリングだから70×24。つまり24×7の積にゼロを足せば良いわけだ。他の人が同じ方法を取るかは知らないが、通常この種の掛け算の場合、まず20×7を計算し、その積を記憶に留めたまま4×7を九九で出し、そして二つの数字を足してゼロを加える。こう書くと随分ややこしい感じがするが、(同じやり方かどうかはともかく)暗算が得意な人なら数秒か、おそらく瞬時に出来ると思う。
    
『700 700 280・・・』 おそらく海外旅行でしか味わえない感動と言えば大袈裟だが、中年男性が紙に書いた三つの数字を見ながら新鮮な驚きを感じた。24という数字を10+10+4と捉えたわけだ。最後の280という数字は、4泊くらいする旅行者は少なくないので、商売柄というか暗記していたんだと思う。僕自身も一個いくらという商品を売るアルバイトをした経験があったが、その頃はお客さんの前でまごつかないように五個分くらいまでの金額は覚えていた。

  この方法なら仮に掛け算を使わなくても対応できると感心したが、それからが長かった。いや長かったというのは語弊で僕がそう感じただけだが、24泊分という大金を扱うゆえ、より慎重に計算していたのかもしれない。もし700×2という掛け算を掟破りとするなら、僕が考えるもっとも最短の方法は、右の二つの数字を足し980とし、左の700から20を拝借して1000とし、で20を引かれた左の700(680)と右の1000を足す。もしくは980を単純に1000とし、左の700を足して一旦1700とした上で20を引くのだが、さて。
     
  旅先で現地の人と接しながら、その言動から異国の人のありようを勝手に解釈するのが旅の楽しみのひとつだったが、この時ばかりは中年男性の頭の中を読めなかった。教育の問題と言ってしまえばそうなのかもしれないが、不安というか正直言って不思議な感じもした。別に苛立つ事はなかったが、『それにしても黒人は計算ができないようだ。かけ算の方法を知らないようだ』と日記に書かれているのが、その時の偽らざる気持ちだった※。


 これもやっぱり異文化体験のひとつだと思いますね。別に旅に出なくとも、外国の風景はテレビで見ることが出来るし、料理も多少はアレンジされているものの、日本にいながらにして味わうことができる。しかし人とのやり取りだけは、行かないことには経験できない。
 
 最近は海外に出かける若者が少なくなったといわれているが、人間は日本人だけではないという事実を肌で感じる絶好の機会ともいえる外国旅行は、行けば行ったで面白いですよ。

※ 後に行ったカンボジアもそうでしたが、地元の人と計算力を組み合わせた話題は、少なくとも僕の周りでは珍しくありませんでした。土地の教育事情に対する無知が招いた側面もありますが、笑い者にするというより、どちらかといえば素朴な疑問といった感じでした。何れの話も90年代前半の頃のことです。

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