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 最近は全く行ってないので事情は分からないが、90年代の前半にネパールでトレッキングをしていた頃に、村の入り口などでやたらと寄付を求められることが多かった。大抵の場合は学校建設とかの名目だったが、結論から言うと僕は1ルピーもしたことはない。少し恥ずかしい告白になるが、あの頃の僕の旅の要素に、「貰い癖」との相手および自分自身との闘いめいたものがあった。

  しかし寄付と言えるのかどうか、やや判断に迷うことがあった。薬を求められることである。僕自身は旅には薬らしい薬は持っていかず、せいぜい財布に入れたバンドエイドくらいだったから、そもそも判断以前にあげるものがなかったのだが、もし持っていたらと考えることもあった。これをペンなどと同列視してよいものか。
     
  現在の尺度では薬の副作用や処方箋あるいは誤用される可能性も含めて、旅先で現地の人に薬品を提供する際は、全面禁止というわけではないが慎重を期するという方向になっていると解釈している。

 1992年にウガンダのフォートポータルという街に行った時の話です。


 フォートポータルにはそれなりにビルもあり街の体裁を整えていたが、泊まった宿には電気は来ていなかった。これは当時のアフリカでは珍しくなかったので気にしなかったが、電気のないビルの中はさすがに怖かったのを憶えている。メインストリートが舗装されていたかは記憶にないが、他のウガンダの街と同じく、フォートポータルの周りも濃い緑で囲まれた、「アフリカの真珠」そのものだった。

 着いた翌日は、「Hot Spring」とロンプラに書かれてあった場所を目指して、いつものようにパンと水筒を持って出発した。別にそれが目的で来たわけではなかったが、これといった史跡に乏しいウガンダでの愉しみが、その頃の僕にとって緑に囲まれた野山を歩くことだった。

 擦れ違う人達とは挨拶を交わしたり交わさなかったりだったが、何かを聞いてくるといった場面は全くなかった。イクバルで出会ったウガンダから来た日本人旅行者から聴いた、「親切だと思うが全体的にシャイ」というのは、こういうことかなと思った。『何よりしつこくないのがいい』と、当時つけていた日記ではなっている。その頃出会った日本人旅行者の間では、ウガンダ人の評判は良かったと記憶している。

 日に照らされた土の道を歩いていると、道の真ん中にカメレオンの死骸があるのが目に付いた。死んでいるとはいえ初めて見たカメレオンの姿に、すかさずしゃがんでシャッターを押した。少し歩き振り返ると、煌びやかな衣装の二人の中年女性が、僕が写真を撮った場所を覗き込んでいるのが目に入った。「今の人、何やってたんだろう」といった感じだろうか。日記には書かれていないが、こんな場面は意外と憶えている。

 さらに歩き続けると学校そして刑務所が現れた。正確に言えば刑務所ではなかったかもしれないが、揃いの灰色っぽい半袖と膝くらいまでの半ズボンを着用して同じ方向に歩く十数人の男性達の姿は、とても通常の農作業には見えなかった。さらに行くと軍の施設があり、カメラを持っていたので緊張したが、『別に何ということもなかった』と日記。
  
 そして湖が見えてきた。眺めの良い所で腰を降ろし、パンと水で昼食にした。目の前に広がるアフリカの真珠はどこまでも美しく、至福の時といった感じですかね。

img1779.jpg
Fort Portal/Uganda 1992


 この時点でホットスプリングなどどうでもよくなっていた。さらに自然に浸ろうと、主要道を外れ山道に入ってみた。もはや完全にトレッキングの世界で、『植物の匂いがぷんぷんしてくる。ガサガサいうのはカメレオンだ』(日記)といった道を歩き続けた。ここにも学校があり子供達が出てきたが、誰も近寄ってこなかった。

 そして、『それから行くとピグミーみたいなおばさんが現れる。やたら話しかけてくるがよくわからない。そして子供達も含め写真をとることに。でもいいのがとれてよかった』というのが、ウガンダ最高の思い出となった。
     
  写真と一通りの対話?を終え立ち去ろうとすると、赤子を抱いた女性が身振り手振りで何かを訴えだした。英語に合わせた完全にボディランゲージで会話していたのだが、女性が薬が欲しいと言っているのは明らかだった。結論から言えば僕は何もあげなかった。そもそも持ち歩いていなかったからというのが理由なのだが、薬と言うならクロロキンというナイロビで購入したマラリアの予防薬は持っていたが、週一回の服用ということもあり、何時もリュックに入れっぱなしだった。

  もしあの時クロロキンを持っていたら差し出しただろうか。「ワンウィークワンタイム」などと、通じる見込みが絶無なボディランゲージと共に。是か非かは分からないが、書きながら胸を撫で下ろしている。

img785.jpg
Fort Portal/Uganda 1992
 

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