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 2008年の梅雨時に再び旅に出ることになり、さっそく何度か利用したことのある旅行社に連絡を取ってみた。当初は中国に行こうとしたが、しかし四川大地震や北京オリンピックの影響で査証が下りないと言われた。もちろん15日以内なら旅行できるのだが、あの広い国で二週間はきついし、時間だけはあったので勿体ない気がした。ならば最初は中国に入国して、東南アジアか何処かに抜けようかと思ったが、色々考えているうちに面倒くさくなってきた。よって何時もの如くというか、最も安易な方法と方角を選んでしまった。

 初日は夜遅くにバンコクに着き、そのまま明け方まで空港で過ごした後、路線バスに乗ってエカマイという地区にあるバスターミナルに行った。ここからはタイの東部に向かうバスが発着する。僕が向かったのは、チャンタブリというカンボジアとの国境近くにある街だった。そこで一泊し、翌朝はカンボジアに向けて出発した。今回の旅の予定は、カンボジア、ベトナムそしてラオスを廻り、再びタイに戻って来るというものだった。

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Pailin/Cambodia 2008

 出国そのものは問題なかったが、少し気になることがあった。係官が(タイからの)出国用の航空券を見せるように要求してきたのだ。原則としてタイという国は、入国に際して出国用の航空券の所持が義務付けられている。しかし僕はこれまで何度もこの国に来たが、出国時はもちろん入国の際にも一度も提示を求められたことはなかった。だからこの規則も有名無実のものだとばかり思っていた。

 まあ僕がまたタイに戻ってくる旨を告げたので、それで見せろということになったのかもしれない。それならそれで、その時に問題にすればいいのにと訝りながら、提示したeチケットの控えを返してもらった。もっともこれについては思い当たることがあった。旅立つ前に調べた情報によれば、このチャンタブリとパイリン(カンボジア)の国境だけは、出国用の航空券の有無にうるさいとのことだった。ソース(Tales of Asia?)は忘れたが、書かれてあったことは間違いなかったわけだ(2008年の5月のことです。今の状況は知りません)。
 
カンボジア側に入ると、僕とは反対にタイに向かう欧米人のグループがいた。国境ではよく出くわす場面だが、その彼らが窓口で何やら揉めていた。どうやら係官は、「これはカンボジアの問題ではない」と言っているようだった。

 さては航空券の問題だなと僕は思った。おそらく、「出国させるのは構わないが、どうせ戻ってくる羽目になるよ」とでも言っているのだろう。だがそんな説明では納得しないのが欧米人というのは言い過ぎだが、彼らのうちの一人がザックを置いたまま、パスポートを手に係官と一緒にタイ側へ歩いていった。

img485.jpg
Pailin/Cambodia 2008
 
その前の年も来たばかりだったが赤土に映える緑に懐かしさを感じ、うきうきしながらバイクタクシーの背に揺られ、半時間ほどでパイリンの街に着いた。バイクが横付けされた市場の周囲をぐるりと見渡すと、さっきの欧米人のグループがいるのが目に入った。本当に戻されたようだ。

 彼らは周囲の人々に囲まれながら、ガイドブックを手にあれこれ善後策を練っているようだった。これもアジアの街角ではよく出くわす場面だが、名所への行き方などではなく問題が問題なだけに、彼らの表情は真剣そのものだった。

 カンボジアからタイに入る国境はいくつかあるが、この場合は現実にはポイペトかココンに行くことになるだろう。一日ではきついが、二日あれば何とかなるだろうと僕は思った。しかしどっちにしても遠く、大変な時間と金のロスだ。自己責任とはいえ気の毒に思えた。

 安易な旅が出来そうな印象のある東南アジアだが、事前に知っておかなければならないこともあるにはある。情報が勝負を分けることもあるんですね。

img488.jpg
Pailin/Cambodia 2008


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ここのところ私事多忙にて更新が滞っています。
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