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てっきり英語の所有格で「私の宿」といった意味かと思っていたが、漢字表記は、「明月旅社」。ピンインでは明は"ming"で月は"yue"と読み、よってMYゲストハウスということか。初めて泊まったのは96年の3月だが、これも最近まで知らなかった。
他にも沢山あるかもしれないが、旅社が"Hotel"ではなく"Guesthouse"と英語表記している所は、こことハジャイにある、「国泰旅社/Cathay Guesthouse」しか思い浮かばない。
既に旅を始めて十年くらいになっていて、最後にアジア横断でもするかといった感じで出たのが、この時の旅だった。何時ものようにタイから始めてミャンマー、バングラデッシュと進んだが面倒くさくなり、インドを目前にしてバンコクに戻って来た。一年以上の予定の旅だったが、まだ日本を出て三ヶ月くらいのことだった。完全に感動を失ったバックパッカー末期症状という感じで、ならば帰ればよかったのだが、人と時間が与し易いのがタイの魔力であり誘惑ということで、意味もなくバンコクのゲストハウス巡りをしている時に辿り着いたのがこの宿だった。
駅からはやや離れるものの、もし中華街の散策を主眼に置くのなら、ヤワラーの心臓部のような立地条件は完璧といってよかった。何しろ宿を出た途端に目に飛び込んでくるのは、路上に並べられたテーブルを囲んで、のんびり茶など啜りながら談笑する華人達の明るい老後の姿だった。おそらく若い頃は商売に血肉を注ぎ、今は子や孫の世代に任せ、仲間達と悠々自適な毎日を愉しんでいるんだろうと勝手に想像するのも愉しかった。微笑ましく、人の人生のありようそのものの光景だった。
96年の頃でシングルが150バーツ。この宿の二階か三階は客室のほか雀荘になっていて、何時も洗牌と笑い声が絶えなかった。僕が泊まった部屋は更に上の四階ということになると思うが、この四階そのものが屋上だった。だから屋上部屋といってよく、この宿の最大の付加価値は、屋上からの霞んだ眺望にあったと思う。特に何が見えるというほどでもなかったが、とりわけ夕暮れ時など部屋の前にあった長椅子に腰を降ろし、ビールと煙草を嗜みながら感慨に耽るのには最高の場所だった。「思えば遠くに来たもんだ」といったところだろうか。
部屋は馴染みの薄暗さとダブルベッドで、ここも箪笥だか鏡台があったような記憶がある。シャワーはあったがトイレがないのも旅社特有の造りだった。但し以前に泊まったことのある楽宮大旅社と違い、部屋にあったシャワーはホースではなく、一応キチンとした「シャワー」だったと思う。トイレは四階にもあったが、何ていうか僕の感覚では使える代物ではなかった。この辺りは想像して貰えれば分かって頂けると思う。ただ階下にあったトイレは至極真っ当で、僕は専らこっちを利用した。
宿泊客はアパート代わりに使っている数人の若いタイ人の男女が多かったが、ここで日本人に会ったこともある。また一度だけ、荷物を持たない中年男性と若い女性のカップルが部屋に消えてゆく場面を見たので、この宿にはラブホテルのような時間貸しといった面もあったと思う。
ここに最後に泊まったのは2007年の2月だが、その時はタイ人の若い男女に加え二人の若い黒人男性と、一人の白人中年男性が泊まっていた。因みに料金が160バーツと思ったほど値上がりしていなかったので、内心驚いた記憶がある。但し以前は宿泊代金に含まれていた朝食は付かなかった。
この宿の特徴の一つが今書いたとおり朝食付きで、96年の頃はチェックインの際に食券のような紙片を渡された。朝食の選択肢は二つあり、一つはカオトムだったが、もう一つがどうしても思い出せない。ただ何で西洋料理?なんぞ喰わなきゃいけないと思った記憶があるので、もう一つはトーストとコーヒーだったかもしれない(これは自信がありません)。
カオトムは漢語では粥となるが、水分が米に吸収されきったドロドロの日本のお粥と違い、ライススープというか雑炊といったものだった。一般には鶏肉ならカオトムンガイとか、魚ならカオトムプラーとか具材を指定して注文するが、ここで細かに注文した記憶はなく、おそらくカオトムと言えば自然に出されたと思う。だから具材が何であったか記憶にないが、美味しく量が少なかったことだけは覚えている。これは麺類などの屋台にも言えることだが、タイ人が注文する際には細かく具材などを指定するが、外国人の場合は言葉の問題もあって単純に麺だけ指し、「クイティオ」といっても食事にありつけるのが、タイの大らかさであり旅のし易さの一つだと思う。
このMYゲストハウスも今はどうなっているのかとネット遊びをしてみたら、どうやら2011年(かそれ以前)に閉鎖されたようだ。事実とすればヤワラー地区で200バーツ以下で泊まれる貴重な存在だったのだが、これも時代の流れというよりほかない。あの屋上の温い空気と共に浸った時間は、もう味わえなくなったわけだ。
在りし日?のMYゲストハウスに興味のある方はどうぞ/www.travelfish.org/accommodation_profile/thailand/bangkok_and_surrounds/bangkok/chinatown_and_pahurat/all/441
他にも沢山あるかもしれないが、旅社が"Hotel"ではなく"Guesthouse"と英語表記している所は、こことハジャイにある、「国泰旅社/Cathay Guesthouse」しか思い浮かばない。
既に旅を始めて十年くらいになっていて、最後にアジア横断でもするかといった感じで出たのが、この時の旅だった。何時ものようにタイから始めてミャンマー、バングラデッシュと進んだが面倒くさくなり、インドを目前にしてバンコクに戻って来た。一年以上の予定の旅だったが、まだ日本を出て三ヶ月くらいのことだった。完全に感動を失ったバックパッカー末期症状という感じで、ならば帰ればよかったのだが、人と時間が与し易いのがタイの魔力であり誘惑ということで、意味もなくバンコクのゲストハウス巡りをしている時に辿り着いたのがこの宿だった。
駅からはやや離れるものの、もし中華街の散策を主眼に置くのなら、ヤワラーの心臓部のような立地条件は完璧といってよかった。何しろ宿を出た途端に目に飛び込んでくるのは、路上に並べられたテーブルを囲んで、のんびり茶など啜りながら談笑する華人達の明るい老後の姿だった。おそらく若い頃は商売に血肉を注ぎ、今は子や孫の世代に任せ、仲間達と悠々自適な毎日を愉しんでいるんだろうと勝手に想像するのも愉しかった。微笑ましく、人の人生のありようそのものの光景だった。
96年の頃でシングルが150バーツ。この宿の二階か三階は客室のほか雀荘になっていて、何時も洗牌と笑い声が絶えなかった。僕が泊まった部屋は更に上の四階ということになると思うが、この四階そのものが屋上だった。だから屋上部屋といってよく、この宿の最大の付加価値は、屋上からの霞んだ眺望にあったと思う。特に何が見えるというほどでもなかったが、とりわけ夕暮れ時など部屋の前にあった長椅子に腰を降ろし、ビールと煙草を嗜みながら感慨に耽るのには最高の場所だった。「思えば遠くに来たもんだ」といったところだろうか。
部屋は馴染みの薄暗さとダブルベッドで、ここも箪笥だか鏡台があったような記憶がある。シャワーはあったがトイレがないのも旅社特有の造りだった。但し以前に泊まったことのある楽宮大旅社と違い、部屋にあったシャワーはホースではなく、一応キチンとした「シャワー」だったと思う。トイレは四階にもあったが、何ていうか僕の感覚では使える代物ではなかった。この辺りは想像して貰えれば分かって頂けると思う。ただ階下にあったトイレは至極真っ当で、僕は専らこっちを利用した。
宿泊客はアパート代わりに使っている数人の若いタイ人の男女が多かったが、ここで日本人に会ったこともある。また一度だけ、荷物を持たない中年男性と若い女性のカップルが部屋に消えてゆく場面を見たので、この宿にはラブホテルのような時間貸しといった面もあったと思う。
ここに最後に泊まったのは2007年の2月だが、その時はタイ人の若い男女に加え二人の若い黒人男性と、一人の白人中年男性が泊まっていた。因みに料金が160バーツと思ったほど値上がりしていなかったので、内心驚いた記憶がある。但し以前は宿泊代金に含まれていた朝食は付かなかった。
この宿の特徴の一つが今書いたとおり朝食付きで、96年の頃はチェックインの際に食券のような紙片を渡された。朝食の選択肢は二つあり、一つはカオトムだったが、もう一つがどうしても思い出せない。ただ何で西洋料理?なんぞ喰わなきゃいけないと思った記憶があるので、もう一つはトーストとコーヒーだったかもしれない(これは自信がありません)。
カオトムは漢語では粥となるが、水分が米に吸収されきったドロドロの日本のお粥と違い、ライススープというか雑炊といったものだった。一般には鶏肉ならカオトムンガイとか、魚ならカオトムプラーとか具材を指定して注文するが、ここで細かに注文した記憶はなく、おそらくカオトムと言えば自然に出されたと思う。だから具材が何であったか記憶にないが、美味しく量が少なかったことだけは覚えている。これは麺類などの屋台にも言えることだが、タイ人が注文する際には細かく具材などを指定するが、外国人の場合は言葉の問題もあって単純に麺だけ指し、「クイティオ」といっても食事にありつけるのが、タイの大らかさであり旅のし易さの一つだと思う。
このMYゲストハウスも今はどうなっているのかとネット遊びをしてみたら、どうやら2011年(かそれ以前)に閉鎖されたようだ。事実とすればヤワラー地区で200バーツ以下で泊まれる貴重な存在だったのだが、これも時代の流れというよりほかない。あの屋上の温い空気と共に浸った時間は、もう味わえなくなったわけだ。
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ここのところ私事多忙にて更新が滞っています。
忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。
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