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 ごく最近になって知ったのだが、タイ北部のチェンライという街の有名ゲストハウスの一つである、「ツーリストイン」の日本人の主人が、二十年近く携わってきた経営から身を引いたそうだ。なにぶんネットで得た情報なので、経緯はもちろん真偽そのものについても確証はないが、久しぶりに耳にするツーリストインという語に懐かしい記憶が甦ってきた。

 ということで、今回は僕がタイで初めて経験した長期滞在(といっても二ヶ月弱だが)の宿の話です。

注 : 以下の記述は、まだ旧館しかなく、日本人の主人もいなかった頃の話です。


 この宿に初めて来たのは、92年の12月の初め頃だった。イサーンの旅を終え、ルーイ(Loei)という街からチェンマイを経由してチェンライにやって来た。この宿のことは以前から知ってはいたが、「ツーリストイン」と華奢な片仮名で書かれた看板に、何ていうか、「旅先で日本語で話しかけてくる奴」と似た匂いを感じ、意識的に避けていた。もちろん偏見以外の何物でもないが、どういうわけかこの時は泊まってみることにした。

 部屋は綺麗だった。何よりホットシャワーにトイレ付きで150バーツという価格は、淡水シャワーとトイレ共同が普通だった僕には極楽のように思えたものだ。二階建ての建物自体はシンプルなアパートとといった感じで、部屋数は十くらいしかなかった記憶がある。僕がいた頃は宿泊客は全員日本人の男性で、ここで白人を見かけた記憶はない。どちらかと言えば中高年の人が多く、あまりバックパッカーという感じがしなかったのも、ここに集う宿泊客の特徴といえた。いわゆる、「タイおじさん」である。

 ここで馬鹿馬鹿しくも、当時(90年前後)一部のパッカーの間で密かに囁かれていた、「タイおじさん」について説明する(あのですね。パッカーが冗談交じりに語っていたことなので、軽く流してね)。「タイおじさん」は、大雑把に二つに分けられた。ひとつは元バックパッカーで、その後タイに居つくようになった人達。彼らは旅の経験が豊富なので、時代は違うものの面白いエピソードを聞かせてくれる人が少なくなかった。もうひとつは経緯は分からないが、なぜかタイにばかり来るようになった人。どちらかと言えば、この人達が、「タイおじさん」と呼ばれていた。それとは別に、あの頃から個人旅行者の年齢層に格段と幅が出てきたともいえた。とりわけタイがそうで、一見ツアー客かなと思ったら、実はリュックを背負った一人旅だというパターンも珍しくなく、そういう人達もツーリストインには泊まっていた。

 部屋に荷を下ろし表に出ると、前のベンチで二人の男性が談笑していた。ひとりは初老と言っていい風貌だった。軽く会釈すると若い方(といっても四十代初めくらい)が、「あんたも期間工か?」「は?」というのが、この宿の宿泊者との記念すべき最初の会話だった。その日の夕食は彼らの行きつけの店で一緒にとったが、ここで少し意外な気がした記憶がある。タイ料理も中国と似た感じで、複数で食べる時は皆でおかずをシェアするのが常だった。もちろん全てではないが、とりわけ夕食など僕達パッカーも数人で卓を囲む時は、例えば一人が一つずつ品を選んで、あとはスープでも付けるというのが何時ものパターンだった。早い話が居酒屋スタイルで、てっきりこの時もそれで行くのかと思ったが、同じテーブルを囲んでいるにも拘らず、なぜか別々に注文となった。別に不満はなかったが、これも世代の違いなのかなと違和感を感じた記憶がある。

 翌日市中の食堂で昼食をとっていると、昨夜の初老の男性が現れ一緒にとった。彼は元旅行者で70年代のアフリカなど興味深い話を沢山してくれた。そしてもうひとりの、「若い方」の話に移った。「あの人は面白いですね(事実面白い人だった)」と僕が言うと、「あれはひとりじゃ何にもできない」と嫌悪感を顕わに彼が言い、思わず吹き出してしまったのを憶えている。初老の彼が言うには、「若い方」はタイ語も英語も出来ず、ビザ延長なども全て代理店に任せているとか。それはともかく、日本人の口から他の日本人の悪口を聞いたのは初めてだった。僕の旅先での雑談経験から言うと、旅人達が現地人(とりわけインド人と中国人)の悪口で盛り上がることはあったが、他の日本人旅行者の悪口を言うということは、あまりなかったように思う。気に入らない旅行者がいなかったわけではないが、それよりも旅の好奇心の方が遥かに上回っていたからと解釈している。別に不思議なことではなかったが、これも世代の違いなのかなと感じた。


 チェンライという街に何があるわけでもなかった。むしろ観光という点では、極めて味気ない中都市といえた。通ともなると、ここを拠点にバイクや車を使って山岳民族の村を巡るというのもあったが、通ではない僕にとって興味深かったのは、ここを訪れる旅行者達の話だった。早く次に進まなきゃと思いながらもズルズルと居続けた理由のひとつが、この魅力溢れる彼らとの邂逅にあったわけだ。

 例えばAさん。彼の話で僕的に面白かったのはピンサロ指南だった。少し説明すると、ピンサロのシステムは40分3000円など、時間制をとっている店が普通だった。とはいえ時間一杯まで店に居ることはなく、普通は20分かそこらで店を後にするのが当たり前だった(少なくとも僕や、僕の友人達はそうでした)。しかしAさんの場合は違っていた。まず店内に入りソファに着くと、テーブルの上に腕時計を置く。そして嬢が止めようとすると時計を指しながら、「まだだ」と嬢の頭を戻すというもので、完全に時間一杯過ごすというものだった。屈強な彼だからこそ出来るのだろうと羨ましくなったが、しかし四十代前半に見えたAさん、その精力絶倫は何処から来るのかと訊ねると、「肛門を引き締めるんですよ」と一言。何でも寝る前に、「キュッキュッ」と10回くらい「肛門体操」をすれば、それだけでも違うとのことだった。ちなみに彼から教わった旅情報は、ハジャイの安宿と格安ソープの場所だった。

 路地で引ったくりに遭い、パスポートも含めた全財産を失ったBさんも、違った意味で興味深かった。彼は事件後さっそく大使館に行き手続きを取ったが、その際に大使館員が数万円貸してくれたそうだ。「へぇー」と思い、何かと評判のある日本大使館でも本当に困っている人には親切なんだなと、一度も世話になったことがない僕は感心したが、Bさんの捉え方は真逆だった。本人の弁によると、「私はね。二十五年間税金を納めてきて、これですか!」(貸してくれた額が少ないということらしい)と食ってかかったらしい。ショルダーバッグに全財産を入れて持ち歩いていたBさんの適正防御の欠如は明らかだったが、それについては反省している素振りは微塵もなかった。元々の性格なのか年齢がそうさせるのかは分からなかったが、僕にはどう考えても、「他山の石」だった。


 とまあ挙げれば切りがないのだが、次から次と現れる個性的な人達の話に、目を白黒させる毎日だった。常連の人も少なくなく、ある種のコミュニティが出来ているようにも見えた。今から思うと、あの時点で僕もすっかり、「タイおじさん」の仲間入りをしていたように思う。あの頃は半年あまりのアフリカ旅行を終えタイに来るも、これといった目的が見つからず、ただタイ国内を彷徨っていた時期だった。そこで出会ったのがツーリストインの面々で、明らかに僕が接してきた旅人達とは違っていたが、世代差など関係なく、一緒に居るだけで毎日が愉しく潰せた。これもある種の青春ですかね。

 このツーリストインの話は続きます。

 

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