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 前回の続き。二回目の中国旅行となった1997年の4月に、ほぼ8年ぶりに大理(ダーリ)を訪れた。なぜこの宿に泊まったのかさっぱり記憶にないが、ガイドブックなどを通して事前に知っていたか、下関(シャーグアン)からのバスが近くに停まったからだろうと思う。宿代が10元。外国人にとっては再両替の手間など面倒くさいだけのFECは、この時既に廃止されていた。

 4月ではあったが三月街という祭りの時期で、そのためか目当てのドミトリーに泊まれず、木造の旧館?に部屋を取ることになった。ベッドがいくつか並んでいたが、宿の人が気を遣ってくれたのか宿泊客は僕だけで、木の壁一枚挟んだ隣の部屋からは、それはもう騒がしい喋り声が響いてきた。この祭りを見るために地方からやって来た団体さんのものだった。やがて彼らは隣に日本人(外国人つまり僕)がいることに気づき、「オマエ行ってみろよ。ハッローと言えば・・・」などといったやり取りが漏れ聴こえてきて、こちらも思わず緊張した記憶がある。

 そして開けっ放しになっていた僕の部屋を覗き込んだのは、笑顔に紅い頬っぺたが際立った、健康的としかいいようのない娘さんだった。おそらく彼女が初めて見る外国人だったに違いない。

 二泊して麗江(リージャン)に行き、古城の散策や虎跳峡(フーティオシア)のトレッキングなどを楽しんだ後、翌5月に再び大理に戻って来た。バスを降りてリュックを背負って歩いている時に、既に顔馴染みになっていた従業員の少女と偶然出会い、二人で話しながらこの宿に来た。

 値段は変わらず10元で、ようやく旅行者が集うドミトリーに入ることが出来た。外に面した壁一面が窓になっていて、とにかく明るい空間だった。広々とした部屋にはベッドはなく、床に直に敷いた布団が自分の場所だった。新築の空気が漂う板の間は清潔で、仮に宿の運営を止めたとしても、保育園とか何かのカルチャー教室にでも代用できるような部屋だった。

 宿泊客の半分以上は日本人だった。世代はバラバラで、大学生から最高齢は50歳の男性がいた。またイスラエル人がいたことも覚えている。確か89年の頃には、中国にはイスラエル人は入れないといった話を聞いたが、90年代になって解禁されたのだろうかと思った。

 トイレとシャワーは共同だったが、とくべつ問題はなかった。トイレは個室とは言い難かったが、一応仕切りがあり、「隠すこと」は出来た。附属するレストランもありタイなどにあるゲストハウスと似た感じだったが、特筆すべきは新館と旧館を挟んだ中庭にプールがあったことだ。とはいっても泳いでいる人は、従業員の家族以外にいなかったが(5月の大理は、泳ぐには少し寒いというのがあったかも)。レストラン以外にも椅子やテーブルが中庭の方々にあり、僕が泊まった中で間違いなく中国一の宿だった。

 立地は洋人街から外れた大理古城の外側だったが、これを気にする宿泊客はいなかったと思う。宿のレストランは別として、僕達「MCA日本人一派」も食事の際には、昼夜問わず洋人街に出かけたものだった。その頃日本人の間で人気があったのが、チベッタンカフェと菊屋というレストランだった。僕には懐かしいハッピーレストランは場所は移転したものの健在だったが、あまり客は いなかったように思う。時代が変わったということか。

 菊屋は何時も日本人達で賑わっていた。というより、ここで日本人以外の客を見た記憶がない。階上では麻雀が出来るようで、古参の旅行者達は日々愉しんでいたようだった。食堂と麻雀といえば、プノンペンにあった(今でもあるのかな)京都というレストランを思い出した。確かあそこの階上でも、ベテラン旅行者達が麻雀で遊んでいたような気がする。
  
 その古参の旅行者から興味深い話を聞いた。かって彼らはハッピーに屯っていたが、ある日店の側から苦情が出たようだ。この苦情の内容については言われた当人から聞いたものの確証がないので措くが、その話を聞いた時、何ていうか付和雷同というか違和感を感じた記憶がある。

 もし彼の話が事実なら、店の言い分が圧倒的に正しいと思った。何より自分達の行いを振り返る人が一人もいなかったのか(実際にはいたかもしれないが)と不思議な感じもしたが、集団で移動するなんて、やっぱり日本人だなあという感じもした。

 後日ハッピーレストランに行ってみた。店内は閑散としていたが、見覚えのあるおばさんは愛想よく迎えてくれた。懐かしのカツ丼は少し甘い感じがしたが美味しかった。

 89年の頃はなかったと思うが、日本語の記述が大半を占めるノートがあった。一般には情報ノートと呼ばれているが、僕が手にしたそれは、身内だけの交換日記と呼べるものだった。言うまでもなくかってここに集っていた旅行者が書き記したもので、その仄々としたやり取りを読みながら、これも一種のムラ社会かなと思った。もっとも日記はともかく群れること自体は、わが「MCA日本人一派」も大して変わりはなかったが。

 宿に戻る度に吠えながら駆け寄ってくるシェパードが、犬が苦手な僕には難点だったものの、ちょっとした邸宅のようなMCAは居心地が良かった。プールサイドで寛ぎながら従業員と象棋を指したり白人とチェスといった、何ていうか優雅な日々を過ごせたと思う。

 ここに滞在していた日本人から面白いことを聞いた覚えがある。日本語のチンプンカンプンの語源は、漢語の「听不懂看不懂」ではないかと。聞いて分からないのが听不懂(ティンプトン)で、見て分からないのが看不懂(カンプトン)。確かに意味は同じといってよく、何より発音が似ていた。意味と発音が似ているからといって直ちに語源と捉えるのは早計ではあるものの、この種の話に滅法弱い僕は大いに興味をそそられた(この件について正確なことは分かりません)。旅とは直接関係のない話で盛り上がるのも、日本人宿に限らず旅行者が集まる宿に滞在する魅力の一つだった。

 このMCAゲストハウスは今でも健在のようで、ネットで探せばテキストや画像を問わず、いくらでも情報が出てくる。興味深かったのは、中文の書き込みが目立ったことだ。あの頃は団体さん以外に見た記憶はないが、今や老若男女を問わず、中国人の個人旅行は当たり前となった。

 もっとも十年以上が経った今は似た感じのゲストハウスが林立しているようなので、ここが特にオススメと言う気は全くない。しかし過去の思い出が再現される筈がないと分かってはいるものの、もし次に大理に行く機会に恵まれたら泊まってみたいと思う。
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