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 大理の宿といえば、まず89年の11月に泊まった第二招待所が思い出深い。初めての大理で初めての中国旅行の時だった。確か四人部屋が1ベッド5FEC。当時は人民元とは別に、外国人専用?の通貨が幅を利かせていた。

 同室には日本人のほかオランダ人の若い男性がいた。挨拶代わりに、「アムステルダムは治安が悪そうですね」と訊くと、「オレは身体がデカイから大丈夫だ」と彼は笑顔で言い、こちらも合わせて笑った記憶がある。正確ではないかもしれないが、あの頃は日本人も含めて、バックパッカーの多くがこの宿を目指したと思う。

 この宿で覚えていることは広々とした中庭と、奔放に洗濯が出来る水場があったことだ。これは今でも変わらないが、予算を気にする旅行者にとってランドリーなんぞには委ねず、自分でする洗濯というのは重要な旅の要素だった。洗面器が用意された水場で愉しくて仕方がないといった感じで衣服を洗い、紐だか針金が張ってあった中庭に干すのが日課だった。

 宿とは直接関係ないが、その時の大理で思い出に残っているのが、コカコーラレストランとハッピーレストラン、そして何回も通った銭湯だ。

 どちらかといえば、二つのレストランは外国人を対象にしたものだったが、コカコーラの方はロンプラに紹介されているなど古巣ながら、やや下火になっている印象を受けた記憶がある。英語を流暢に話す紅い頬っぺたが印象的な女性店員の目標は、日本への留学だった。

 一方ハッピーは全盛期といった感じで、毎日昼夜問わず多くの日本人達で賑わっていた。とりわけ評判が良かったのがカツ丼で、他にも味噌ラーメンなど、日本食が日本人を惹き付ける理由の一つだったと思う。ここで給仕しているのは四川から来た若い女性だったが、その後昆明に行き茶花というホテルに泊まった時に、休みを貰ったのか退職でもしたのか、その女性が白人とカップルになって泊まっていて吃驚した記憶がある。

 今も大して変わらないかもしれないが、日常的に外国人と接する機会のある若い中国人の男女にとって、あの頃は「西側への憧れ」というのがあったと思う。

 銭湯は文字通り金を払って入浴する場だったが、日本のそれとは大きく異なっていた。勿論日本にあるような銭湯は中国にもあると思うが、僕が足繁く通った場所は、大きな湯舟があり複数の人が湯に浸かるという空間ではなく、すべからず個室だった。

 灰色のコンクリート造りながら、日本のビジネスホテルにもあるような底の浅い湯舟があり、客が入ると初老の「三助」が巨大な排水口の蛇口を捻った。次いでドドッという感じで湯水が噴出し、間もなく湯が溜まると裸になった客が浸かり、無表情に無言のまま「三助」が、石鹸をつけたタオルだかスポンジのようなものでゴシゴシ身体を擦ってくれた。

 入浴後は別料金でマッサージもあった。こちらの方は受けた記憶はないが、白人の男が気持ち良さそうに身体を揉んで貰っているシーンを見た記憶がある。女性の旅行者が利用したという話は聞かなかったが、従業員には中年女性もいたので、女性でも問題なく利用できたと思う。

 どちらにしても11月の大理は、晴天が続くものの思いのほか寒かった。よって豊富な湯で迎えてくれる銭湯は、予算に乏しい旅行者でも至福の時を味わえたわけだ(当時つけていた小遣い帳を紛失したので正確な料金は分かりませんが、僕でも利用できたという程度だったと思います)。今でもあるのかな。

 さて第二招待所の現在はどうなっているのかと調べてみたが、それ以前にこの宿の正式名称が、「紅山茶賓館」というのを知った。そういえば聞いた覚えがあるような。おそらく料金はもとより、内装などかなり変わっているとは思うが、興味のある方は、「大理 第二招待所」で検索どうぞ。
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ここのところ私事多忙にて更新が滞っています。
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