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人それぞれ考え方が異なるのは当たり前だが、こういう批判があるとは気づかなかった。「變臉」という中国映画の邦題のことで、この字を「へんめん」と読む。読むといっても、日本語の読みでも中国語の読みでもない。變は「へん」と読めるが、臉は音読みでは「けん」となる(と漢字辞典ではなっていますが、変臉と書いて「へんれん」と読むのも一般には広まっています。また臉譜と書いて、「れんぷ・けんぷ。隈取りの意」という語も国語辞書には載っています)。
この読みがケシカランと言う人がいた。その人の意見を総合すると、まず字が難しすぎるということと、ルビ(へんめん)そのものが間違っている、そしてほとんどの人が読めない字を採用した判断の根底には、「偉いだろう、どうだ!」と自慢したいエセインテリの意識があるということだった。
以前テレビで著名な作家の方が、「タックティック」という語を含めて話されていた。はじめ意味が汲み取れなかったが、調べてみると、tactiks(戦術、駆け引きといった意味。通常は複数形)だと分かった。おそらく氏が言うエセインテリというのはこういう人を指すと思うが、確かにこれは痛い。発音がデタラメだし、何より戦術や駆け引きといった適切な日本語を使えば済むだけだと思った。
では「變臉」はというと、配給会社の真意は分からないが、この見たこともない字に触れることによって、中国の伝統劇に思いを馳せる機会を提供してくれただけだと思う。エセインテリ云々は関係ないと思うが・・・
問題はルビの部分。變の訓読みは「か(わる)・か(える)」で、臉の訓読みは「かお・ほお」となる。僕自身は映画の内容から推して、「仮面が変わる=変面=へんめん」という意訳で邦題の一部と捉え気にならなかったが、漢字や中国の伝統芸能に詳しい人ならこだわる可能性はある。
より忠実にルビを打つなら、ピンインの「bianlian」か、カタカナで「ビェンリェンかピェンリェン」、日本語の読みなら「へんけん(へんれん)」となる。ここから先は配給会社の裁量の範囲で、そのまま「へんけん(へんれん)」とするよりは、映画の内容を考慮して変面を想起させる「へんめん」の方が・・・という判断だったと勝手に想像している。正誤ということではなく、演出効果というか表現の次元の話だと思う。
とはいえ人それぞれで、結局は好き好きというしかないですね。僕自身も、「この櫂に手をそえて」は要らないんじゃないかと思ったわけだし。
漢字の読みは次のサイトを参照しました/www.kanjijiten.net/index.html
忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。