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 まずは89年のアジア旅行でパキスタンに滞在していた時の話。その旅では市販されている英会話の教本を持って行ったのだが、それを見たスコットランド人から数々の誤りを指摘された。

 その中で今でも一つだけ覚えているのは、"See you again"という例文。これ自体は普通だが、なぜか文末に、「?」が付いていたのだ。

"See you again ? "

「何だこれは」という表情で、繰り返し語尾を上げ発音しながら、スコットランド人が首を傾げた。これは僕にも分からなかった。訳文は書いてあったと思うが、残念ながら記憶にない。

「また会えますか?」という意味のつもりで、筆者は英文を作ったのだろうか。あるいはピリオドとクェスチョンマークを単純に間違えたのか。それともスコットランド人の彼が知らないだけで、実は文章そのものは正しかったのだろうか。

 真相は分からないが、彼が言うにはこれはまだマシな方で、ネパールで見たテキストはもっと酷かったようだ。とはいえ元々疑う向きがあった僕は、それ以来日本人が書いた語学本にあまり信頼を置かなくなった。これは今でも大して変わっていない(まさかと思うが、"When will I see you again ?"の略か)。



 もちろん僕レベルの話だが、若い頃に十年以上に渡った僕の旅歴は、そのまま英語歴と言ってよかった。また英語に限ったことではないが、もっと若い頃に学んだり習ったりしたことが裏切られたとまでは言わないものの、何か違うなと気づき始めた困惑歴でもあった。もちろん思い違いや勘違いの可能性はあるが、今回は英語に纏わる旅の話をいくつかしてみたい。

 その数年後のアフリカ旅行でマラウイからモザンビークに入国した時の話。ヒッチハイクした大型トラックの助手席に座っていたのだが、薄笑いを浮かべた係官が僕を横目に運転手に向かって、

"You take this ? "

 未だに慣れないのが、この人に対して使われる"this"。この場合はモザンビーク人が使った英語ということで、この用法が正しいかどうかは措くが、人を紹介する時や電話の応答などで、"this"そのものは人に対しても使われる。とはいえ不快とは言えないまでも、モノ扱いされた(した)ような違和感は未だに拭えない。

 当ブログ馴染みのアレな話だが、80年代末期にタイの某風俗店に行った時に、英語を話す主人が居並ぶ女性達を指しながら、"This one ? This one ? "と訊いてきた。「おいおいモノじゃないんだから」とその時も唸ったが、"this"と同じく"one"も人に対して使われる。しかし" everyone"や" anyone"が人を指しても違和感はないが、"this one"となるとやっぱり、「コレ」という感じになってしまう。

 さて。これらの用法は正しいのだろうか。正しいとすれば僕の感性が異常となり、正しくないとすれば正常ということになるが、実は正誤には興味がない。興味があるのは、「thisがこれ」という概念に支配されるようになった背景である。

 繰り返すが大して英語が理解出来るわけではないが、今から思うと、「thisがこれ。thatがあれ」と教わったのは間違いとは言えないものの、何か致命的な先入観を植え付けられた気がする。そもそも誰が見ても分かるペンを、"this is a pen"と言うことはまずない。強いて言えば何かアイデア商品か民族固有のアイテムなどで、通常ペンには見えないものを、「実はペン」と種明かしする時くらいである。すなわち説明しなくとも分かりきった事物を、"this is ~ "の形で表す例文そのものがおかしい。せめて"This is my pen"くらいに出来なかったものかと思う(この型だったらよく使いますよ)。

 こんなテキストで英語を教わってきたわけだ。どうりで解釈が捻れたわけだ。書きながら腹が立ってきた。もう、きみには頼まない(城山三郎。懐かしいですね)。

 あれから三十余年経った今となってはどうでもいいことですね。
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ここのところ私事多忙にて更新が滞っています。
忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。
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