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 シリーズ第三弾の今回は、ビルマ拘り派の精神構造を嗤う。じゃなくて語る。

 外国地名の呼び方について、ひとつ自分の経験を挙げると、ボンベイがムンバイになるなどインドの地名が変更された時に、強烈な違和感を感じたことがある。そのうち他者が言ったりメディア上の表記などは気にならなくなったが、自分の口で発音することに、未だ抵抗感がある。元々の呼び名がムンバイという正当な変更理由を知ったあとでも違和感は消えなかった。

 もちろん特定の思想など微塵もなく、ただのノスタルジー以外の何物でもない。僕が旅した時はボンベイだったというだけだ。以前このブログでも書いたが、変更された地名に馴染めるかどうかの目安のひとつは、教科書などで覚えた知識より、旧名に対する実体験の有無が大きい部分を占めると思う。

 ビルマという呼称を用いる人の多くは、このパターンだと思っている。ミャンマーという響きが嫌いというわけではないが、ついビルマと言ってしまうというだけで、僕が未だにマドラスとかカルカッタと言ってしまうのとほとんど同じだと思う。政治意図以前に深い考えなど何もなく、ただの言語習慣と言うよりほかない。もちろん嗤うべき存在ではなく、この記事の主題とも全く関係ない。

 嗤うべきはビルマ拘り派というより、ミャンマー忌み嫌い派である。これまで誰も指摘しなかったのが不思議でならないが、その青臭い否定論者の浅い皮を、このさい徹底的に剥がしたいと思う。



 馬鹿馬鹿しくも極論すれば、これは国際的なことではなく日本人の思考傾向の問題に過ぎないが、こう言ったところで理解出来ないだろうから、いくつかの主題を設けて段階的に書いてみたい。

一  まずは自問自答という形を採って、自分の立場を明らかにする。

 自分の見解を述べずに他人の言動を批判するのは大嫌いなので。単純にマナーですね。

二 結果より過程を重視する方の思考回路という点から診る。

「与えられた民主主義」と無縁ではない気がする。

三 日本人ならではの付和雷同。

 一見ミャンマーと呼ぶ方が迎合という感じがするが、実は真逆である。その浅薄な理由を炙り出す。

 とりあえず思いついたのはここまで。変更はないが追加の可能性はある。眠いので続く。
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忘れたわけではありませんので、まったりとお待ちください。
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