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正直言って早くこの問題から逃れたくなってきた。が、ただの勢いで始めたとはいえ、乗りかかった以上はそうもいかない。こっそり全編削除という手もあるが、何処で誰が見ているか分からない。引っ込みがつかなくなったのは、ミャンマー忌み嫌い派だけではなかった。

気を取り直して。今回は結果より過程に固執する思考回路について診察する。



ミャンマーという国名を信条を以て使わない人の最大の悲劇は、坊主も袈裟も一緒にしたことにある。語呂は悪いが、軍政憎けりゃ決定まで憎しというところだろうか。

 何しろ内政に異議を唱えるくらい彼の国に詳しいのだから、ビルマ語での国名が独立後一貫してミャンマーであることや、何より現地の人達の間で使われていることくらいは知っている筈である。普通に考えれば、Myanmarが国号であることに一点の曇りもない。

 しかし軍事政権が決めやがった。対外呼称をビルマ語の話し言葉の発音に近いBurmaから、正式国名の発音に近いMyanmarに変えやがった。しまった。その手があったのだ。先を越されたか。大体このあたりだと思う。

 こんなものは長く親しまれていたメナム川が、実はチャオプラヤー川だったようなものである。恥ずかしながら誰も気づかなかったわけだ(専門家なんてそんなものだ)。この悔しさは軍政に当たるしかない(言ってる意味わかります?)。

 ここから先の受けとめ方は大きく分かれる。一番健全なのは、「あ、そう。ミャンマーに変わったの? じゃあ相手のあることだからそう呼ぼう」という、どちらかといえば従順な若者タイプ。同じくらい健全なのが、「ビルマには馴染みがあるからなあ。特別な場合を除いて、自分はビルマでいいや」という、どちらかといえば薹が立った保守タイプ。

 僕は若者ではないが、深く考えることなくミャンマーと呼んできたので、「従順な若者タイプ」に近い。しかしミャンマーという語の由来を知って以来、ある種の見識の広さを当該政権に感じるようになった。一言で言えば健全なナショナリズムで、もう一言を付け加えるなら、健全なリベラリズムである。

 決定というより英断といってよく、国際社会(西洋社会)に堂々と向き合った戦前ニッポンを想わせ、断然羨ましく感じてしまった。出来れば日本の対外呼称も、NipponかYamatoにでも変えてほしいと思ったくらいだ。そうすればオリンピックやワールドカップの場で、正真正銘の国号が表記され連呼されるわけだ。しまった。先を越されたか。

 なんだかもう書いているうちに、ミャンマー忌み嫌い派はどうでもよくなってきた。「ミャンマーという語の由来がどうであろうと、民主的な手続きを経ていない決定は許されない」という救いようのない主張は、もはや心の問題という気がする。老婆心ながら言わせてもらえれば、よそ様の国のありように何を外国人が目くじらを立てているのか、本人達も分からなくなっているのではと心配になってくる。そんな方は、「ミャンマーかビルマか その2」へどうぞ。

あとは、「付和雷同」だな。書いた手前続く。
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