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 英語表記は、「SRI HUALAMPONG HOTEL」。ファランポーン駅の傍といっていい。手元にある2005年の9月に発行された、「Lonelyplanet Thailand 11th Edition」にも紹介されている。

  この宿に初めて泊まったのは92年の9月頃だった。次に泊まったのは95年の12月で、その時の日記にはこう書かれてある。

『そんなわけで着いた所が、あの新華南峰旅社だった。ものすごく不気味だった。かってここに2週間ほどいたのがまったく信じられない。まさに必死でシャワーを浴びた』

 その時は日本を出たばかりだったので、余計そう感じたのかもしれないが、まあそういう宿だと思ってもらってもいいと思う。
 
 92年の頃でシングルが120バーツだった。部屋は狭くはなかったが、電気を点けても薄暗かった。ダブルベッドに椅子と机、そして小さな窓の傍には箪笥か鏡台があったような記憶がある。そして勿論シャワーもあり、水の出は勢いがよかった。

 ここで日本人に会ったことはないが、白人と黒人の宿泊客がいたことは覚えている。会話はしなかったが白人の方は若い男性で、僕の隣が彼の部屋だった。黒人も若い女性で、客室がある二階の踊り場にあった応接間のような空間で、何時も宿の中国人男性達と過ごしていた。それとは別に記憶にはないが、日記にはインド人も泊まっているとなっている。

 宿の存在も含めて今は知らないが、あの頃は二人の中年のタイ女性が住み込んでいた。昼夜構わずノックしてきて、扉を開けると、「マッサー、マッサー」と、どちらかの彼女が笑顔で立っていた。殆ど毎日のように代わる代わる来たが、試したことがないので料金などは分からない。

 宿は完全に華人の経営で、太った中年と痩せ細った老人と言っていい二人の男性が客室を管理していた。僕が食事を摂りに行く際に「吃饭」と言うと、「吃饭」と嬉しそうに返してきたので、やっぱり中国語が通じるのかと変に感激した記憶がある。階下にある帳場を仕切っていたのは初老の女性だった。宿の登記以外に喋ったことはないが、ある時人を呼ぶ際に、「来、来」と言っていたので、マレーシアやインドネシアと違い華人と先住民?との区別がつき難くなったタイでも、古い世代は中国語で会話しているのかと思った。

 ところでジュライホテルの隣に新華大旅社というのがあったこともあり、てっきりこの宿の名称は、「新華プラス南峰」だとばかり思っていた。実は後になって知ったのだが、ファランポーンは漢字では、「華南峰」と書く。ということは駅の傍という立地からして、「新プラス華南峰」となり、東京でいうなら、「ニュー上野」とか「ニュー新橋」といった語感だろうか。英語表記を見ればすぐに分かったことだが、このどうでもいいことに気づいたのは、最後に泊まってから十年近く経ってからだった。

 ロンプラにも紹介されているためか白人旅行者が泊まることも少なくないようで、ネットで遊んでいたら、このホテルのレビューが出てきて吃驚した。存在の有無も含めて現在(2011年6月)の状況は全く知らないが、興味のある方はどうぞ。

www.tripadvisor.com/Hotel_Review-g293916-d609644-Reviews-Sri_Hualampong_Hotel-Bangkok.html
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