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 たまたまなのか人気があるのか、諸般の事情で輸入車が限定されているのかは知らないが、この時のカンボジアの旅では、やけにカムリが目に付いた。初めの頃は気づかなかったが、この夜に乗り込んだのもカムリなら、今朝の国境からのタクシーもカムリだった。
 
 もっとも外国車については分からないが、アジアの国で同一か似た車種の日本の車やバイクが走っていることは珍しくない。おそらく部品の調達とか現地工場の生産能力の関係だと思うが、僕は日本でも中型バイクを所有していたこともあって、つい旅先でも四輪より二輪に目が移ってしまう。たびたび話が脱線して恐縮だが、初めに海外で見たバイクを巡る思い出話をいくつか。
 
 初めてバンコクに行った86年に渋滞する路上で目に付いたのは、GTOと記された見たこともないカワサキの小型バイクだった。カラーバリエーションはいくつかあったが、いかにも2サイクルといった感じの甲高いエンジン音を轟かせながら疾走するGTO群を見て、その判を押したような画一的なさまに、ちょっとしたカルチャーショックを受けたほどだった(少し気になって調べてみたのですが、何と正体はKH125のようです。タイカワサキKH125(GTO))。
 
 初めてヨーロッパ(といってもギリシャだけだが)に行ったのは92年の夏で、アテネの街は各国からのツーリングの若者達で賑わっていた。ここはヨーロッパなのだから本場の外車が見れるぞとワクワクしたが、期待に反してBMWもモトグッチもおらず、肩透かしを喰らった記憶がある。唯一見たのは、いつ行っても同じ場所に放置されているように停まっていた、汚れた小型のドカティ一台だけだった。さらに若者達が乗っていたのは圧倒的にカワサキのニンジャだったので、欧州車は欧州では人気がないのかと不思議な感じがしたものだ。
 
 ペダルが付いたバイクを初めて見たのは、89年のインドだった。仕組みはよく分からなかったが、髭面の太っちょがペダルを漕ぐさまがふざけているように見えて、思わず笑いを噛み殺すこともあった。底が浅いんだか深いんだか分からないインド独自のものかと思ったが、後に出会ったヨーロッパから来た日本人によると、このペダル付きバイクはイタリアでも頻繁に見かけたとのことだった(これも気になったので調べてみましたが、どうやらモペッドと呼ばれる車両の総称のようです。モペッド/ウィキペディア)。
 
 96年のインドではホンダ車も見かけたが、なぜかHONDAのロゴの上にHEROと記されていた(ヒーローホンダ?)。カジュラホで出会った日本人旅行者が所有していたもので、彼によると乗り心地は悪くないとのことだったので、たぶん本物のホンダだったと思う。日本車といえば仰天したのが、90年の雲南の田舎で見かけたホンダVT250F。一体どういう経路で入って来たのか分からないが、香港からの密輸かなどと思いを巡らせたものだ(これも調べましたが、ヒーローホンダは地元企業とホンダとの合弁会社のようです。VTについては分かりません。ヒーロー・ホンダ/ウィキペディア)。
 
 しかし日本車で一番インパクトが強かったのは、98年頃にヤワラー(バンコク)の路地に停まっていたヤマハSRX4初期型(タンクが抉れてないヤツ)を見た時だ。これも輸入経路が気になったが、このころ正に日本でもSRX4初期型に乗っていたので感動モノでしたね。
 
 はい。ココン初日の夜の話に戻ります。



  何しろ暗かったので何処をどう走ったのかは覚えていないが、着いた所がチキンファームではないことだけは分かった。置屋というよりいくぶんライトアップされた野外レストランといった感じの場所で、表に出されてあったテーブルに着くと、すかさず笑顔の女性が隣に座り、身体を摺り寄せてきた。いわば輪番制である。
 
 もちろん全ての店がそうだと言うわけではないが、どちらかと言うとタイに比べてカンボジアの置屋は、この輪番システムを採っている所が少なくなかったような気がする。一般にタイの置屋というと複数の女性達がガラス越しか直に居並び、客は任意の女性を選ぶという方式で、この間客と女性達との会話はまずない(例外はありますよ)。それに比べて90年代に遊んだプノンペンの置屋では、カフェスタイルというかキャバクラというか、客が店内に入ると女性の方から寄ってくることが珍しくなかった。輪番というのは客の人数に合わせて来る女性の優先順位が、どうやら決まっているらしいということだ。
 
 もちろん楽しいのはキャバクラスタイルのカンボジアの置屋である。嘗てタイからカンボジアに多くの買春旅行者が流れていったが、理由は低価格やベトナム女性の美貌に加え、どちらかと言えば暗い感じのするタイの置屋より、遥かに明るいカンボジアのそれの雰囲気が占める部分が少なくなかったように思う。あとはジュライの閉鎖と茶室の激減か。
 
 因みに輪番制といっても、あてがわれた女性が気に入らなければ他を選ぶことは可能だったが、その必要はあまりなかった。あの頃のプノンペン置屋はアイドル軍団といった感じでしたね、個人的には。
 
img426.jpg
Krong Koh Kong/Cambodia 2007
 
 コチョールの懐かしい生姜風味に浸りながらふと見ると、僕を連れてきた小太りのカムリは少し離れた所でハンモックに寝そべり、もうすっかり寛いでいた。今日の儲けは確保できたし、あとは好きにやってくれといった感じだろうか。
 
 プノンペンから来たという隣に座った女性は、カンボジア人にしては背が高く、アフリカ系かと思うほどに肌が黒かった。縮れ気味のショートカットにクリッとした眼の横面長の顔立ちで、こちらが外国人だからという理由であてがわれたのかは分からないが、さかんに流暢な英語でアピールしてくるさまは、クメール人置屋嬢というよりキクユのマラヤさんという感じだった。
 
 それにしても客が付かなくなって今日で何日目かと疑わせるほどに、クメールマラヤさんのアピールは積極的だった。ほぼ半身を密着させ、こちらの手を握りながら終始笑顔でまくし立てるさまは、ひょっとしたら自分は気に入られたのかと勘違いしそうになるくらいだった。主人や他の嬢の手前、内心かなり焦っていたのかもしれない。
 
 と、その時。暗がりから一台の高級そうな4WD車が来て、店の前で止まった。中から二人の中年男が出てきたが、彼らは店の中に入ろうとせず、店の方に向かって車に凭れかかり、笑顔を見せることなく腕を組んで立ちつくした。二人ともサンダル履きのラフな格好だったが、やけに態度が居丈高で、確証はないがカジノ帰りのタイ人だと思った。
 
 やがて四五人の嬢を連れた女主人が中から出てきた。客を迎える状況だと思うが、主人にも笑顔はなかった。これは見ものである。

 まだ続きます。
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