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 懐かしの旅写真シリーズ第二弾は1989年の雲南。麗江から九日に一本(当時)しかないバスで宝山(パオシャン)という村に行き、そこから一週間くらいかけて、鳴音(ミンイン)、大具(ダージュ)、虎跳峡(フーティオシア)とトレッキングした時の一コマ。雲南の少数民族の中でもひときわ華やかな衣装のイ族の娘さんを見つけ駆け寄ったが、あらら後ろを向かれちゃった。

 嫁入り前(たぶん)の娘さんゆえ無理もないなと思ったが、そのすぐ後に会った似た感じの娘さんは、写真を全く嫌がらなかった。人によるわけですね。

ところで宝山だが、当時持参していたガイドブック(現地発行の英語が併記されたパンフレットだったかも)に、「stone village」と紹介されていた。椅子やテーブルが石で出来ていると書いてあった記憶がある。で興味が湧いて行ってみたのだが、泊めてもらった民家は調度品も含めて、ありふれた木造家屋だった。

翌朝村を後にし、何気に振り返ってみた時に由縁が分かった。村全体が苔のように、巨大な一枚岩の表面に貼りついていたのだ。来たときは気づかなかったが、「だからストーンビレッジなのか…」と感嘆した記憶がある。

宝山そのものは漢族の村だったが、周辺にはイ族の村が点在していた。二日目の朝に山道で擦れ違ったおばさんから、パキスタンで食べたナンのようなものを差し出されたのを覚えている。また幹線道路と宝山に向かう道(当時は車両通行不可)との分岐点にあった雑貨屋の若い女性が、「This way」などと英語を話したので、こんな田舎でと驚いた記憶がある。ガイドブックに書かれてあることもあり、外国人に慣れているのかとも思った。

有名な虎跳峡は確かに雄大だったが、このトレッキングで最も印象的だったのは、三日目に歩いた鳴音から大具への野道だった。眼前の松の緑と背後に浮かび上がる雪山のコントラストが、とにかく美しかった。空が蒼く晴れ渡っていたことに加え、東から西に向かって歩いていたため、視界が完全に順光だったこともあったと思う。あの道だけでももう一度歩きたい。

さて、あれから二十余年ということで、現在の宝山はどうなっているかと調べてみた。どうやら麗江からの直通バスが毎日あり、村には数軒の宿泊施設があるようだ。もはや驚くことのない、「時の流れ」を確認したが、興味深かったのは、ここから更に北に向かい濾古湖に至るトレッキングルートが紹介されていたことだ。

ひょっとしたらと思い調べてみると動画がアップされていた。そして見た瞬間に自分には無理だと思った。ルートのどの部分を指すのかは分からなかったが、凄まじい断崖絶壁である。虎跳峡の比ではない。高所恐怖症ではないと思っていたが、見た瞬間に身震いがしてしまった。

とはいえ撮り方にもよるだろうし、実際に行ってみないと分かりませんね。死ぬ前に行ってみたい場所がまたひとつ増えた。

 
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