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  <title type="text">Lovely Life or Hell/Blog</title>
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  <updated>2010-09-30T00:07:11+09:00</updated>
  <author><name>lovelylifeorhell</name></author>
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    <published>2012-05-23T22:11:22+09:00</published> 
    <updated>2012-05-23T22:11:22+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その９　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　もしこんなアンケートを日本と途上国で取ったら、真逆の結果が出るだろうと思われる設問がある。例えば、「手で車を押したことがありますか？」とか。<br />
&nbsp;<br />
　むかしケニアからウガンダに入った時、入国審査を終え客引きに連れられるままに、近場に停まっていた乗り合いのタクシーに乗った。いざ出発という段になって、周辺にいた男達が僕達八人（運転席二人。助手席一人。後部座席五人）が乗った車の背後に回り、一斉に押し始めた。押しがけである。そして、しばらくは調子よく走っていたが、やがてスカスカと力がなくなり、誰もいないところで車は間もなく停止した。<br />
&nbsp;<br />
　再び押しがけとなった。僕も含めて客は降りなかったが、運転席にいた一人が外に出て、手際よくドアを持って押し始めた。どうやら彼は運転手の助手だったわけで、窮屈そうに運転席に二人いた理由がよく分かった。<br />
&nbsp;<br />
　もちろんオートレーサーなどは別としても、押しがけそのものは現代の日本でも絶無ではない。とはいえ僕が子供の頃でも（おおむね昭和４０年代）、バッテリーが上がってしまい押しがけというパターンを見た記憶はあるが、日常ではなく滅多にないことだったと思う。また押しがけというわけではないが、土砂災害などで泥に嵌った車が立ち往生してしまい車を押した経験のある人もいるとは思うが、どちらにしても今の日本で車を手で押すという行為は、非常事態でもない限り日常的な光景ではなくなった。<br />
&nbsp;<br />
　この自国の日常では見られなくなったシーンを、それほど苦労することなく目にすることが出来るのが、途上国への旅の魅力のひとつですね。そして時には見るだけではなく自分も加わり、変に歓びを感じたりすることがある。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　生業不明の若い男も加わり男女五人を乗せたカムリは、乾季の乾燥しきった大気の中を快適に進んだ。道は白がかった砂地だったが突起は殆どなく、乗り心地は少し痛んだ舗装路と変わらなかった。この辺りの風景は熱帯雨林ではなく、中東か何処かの半砂漠のように見えた。インドシナの植生の詳しいことは知らないが、乾季ゆえに緑が乏しかったというのもあったと思う。<br />
&nbsp;<br />
　どうも以前から思っていたが、カンボジアはアジアの中のアフリカという気がする。もちろん人の形状は違うが、営みというか走っている車はボロだし、隣国に比べて停電は未だ健在である（２００７年１月現在）。そして何より緑と赤土の眩いコントラストが、嘗て旅したアフリカの真珠ウガンダに瓜二つに見えた。これで女性達の腰巻の色彩が派手だったら（カンボジアは少し地味ですね）東アフリカそのものだし、今目にしている半砂漠の広がりは、同じく植生に乏しいジンバブエやボツワナの風景にも似ていた。<br />
&nbsp;<br />
　やがて道は（おそらくは）幹線道路の手前で急な上りとなった。何となく嫌な予感がしたが、やはり最後の一歩でカムリは頓挫した。「さあ、みんなで押しましょう」という馴染みの展開である。すかさず女性達は嬌声を上げ、僕達四人は車の背後に回った。そして小太りカムリの掛け声に合わせ、車輪が生み出す砂埃に塗れながらも、楽しくてしょうがないという感じで車を押し続けた。これぞトラブルを愉しむアジア旅、ですか。<br />
&nbsp;<br />
　乾季のためか水量がモノを言う滝そのものの迫力は今ひとつだったが、ところどころにプール状の滝壺があり寝転がるのに適した大岩があるタタイは、南国の自然に浸るには完璧の場だった。何より周囲が緑に囲まれ、無粋な売店やチケット売り場がないのがよかった。チケットはともかく売店や食堂などの存在は便利ではあるが、これらの人工物が視界に入ると、どうしても自然度が薄められてしまう。<br />
&nbsp;<br />
　さっそく水浴となった。もちろん水着に着替えるわけではなく僕はパンツ一丁になり、カムリは上だけ脱いで筋骨隆々の胸板を晒し、女性達は来た時のままの格好で川に入った。<br />
&nbsp;<br />
　女性達が脱がないのは分かっていたが、小太りに見えたカムリのガッシリとした体つきは意外だった。一見したところ華奢に見える東南アジア人の体躯だが、線が細いながらも筋肉質の男性が少なくない。浅黒い肌が余計そう感じさせるのかもしれないが、女性も都市部などはそうでもないが、田舎に行くと足腰がガッシリ据わっている短く太い感じの人を多く見かける。またアレな話になるが、嘗てタイ北部の置屋巡りでアカ族の女性に当たった時、彼女は顔だけ見るとアイドルだったが、何気に触れた足の裏が鉄のように硬く、思わず息を呑んだ記憶がある。おそらく幼少というか生後十余年は、籠など背負いながら素足で過ごしていたのだろうと勝手に想像したものだ。<br />
&nbsp;<br />
　水遊びに興じたあとは、みんなで仲良く岩場に腰掛け、菓子を頬張りながらビールとピクニック気分を満喫した。何を話しているのか分からないが、賑やかな若い男女を眺めながら、つくづくアジア旅は青春が甦る機会を与えてくれるなあなどと、しばし感慨に浸る。同年代の他の人のことは知らないが、日本でこういう場に加わることは、僕はまずない。<br />
&nbsp;<br />
　それにしても途中から加わった若い男。カムリの友達というか舎弟のような感じだったが、誰に遠慮することなくビールをがんがん空けていくのが、気に障るといえば気に障った。「オイオイ俺が買ったんだぞ・・・」と言いたくもなかったが、とはいえ太っ腹というか、ここはオーナー気分で乗り越える。ガイドなどを雇いながら、ちょっとした社長気分に浸れるのもアジア旅ならではということで。同年代の他の人のことは知らないが、日本でこういうポジションに就くことは、僕はまずない。<br />
<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/112cb0f9.jpeg" target="_blank"><img alt="112cb0f9.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1337777579/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　てっきりそのまま帰り、彼女達を送り届けたあと宿に戻るのかと思っていたが、ピクニックの後はカラオケとなった。また奴のペースに乗せられ何処かに連れて行かれるのかと警戒したが、彼女達の置屋にはカラオケ機器が備えてあり、そこでのパーティーとなった。別に真新しいことではないが、単に春買いだけではなく、置屋にはこんな過ごし方もあるわけだ。<br />
&nbsp;<br />
　一ダースは入っているだろうか、箱に入ったままの缶ビールが運び込まれた。「これといいカラオケ代といい支払いは俺に来るんだろうな・・・」などと又セコイ思いが過ぎったが、もうどうでもいい。嫌なら帰ればいいだけの話で、そんなことを気にかけるより、クメール人のカラオケスタイルの方に大いに興味をそそられた。<br />
&nbsp;<br />
　さて乾杯・・・の音頭はなく、みなが好き好きに飲み始めた。カムリや舎弟はもちろん、年の食った嬢（といっても二十歳くらい）も処女という触れこみの嬢も、こんな機会はあまりないのかガンガン空けまくる。大丈夫かな？<br />
&nbsp;<br />
　ところでカラオケだが、もちろんビデオカラオケで、演歌調のメロディに合わせて民族衣装っぽい出で立ちの女性が、湖の畔なんぞを口パクしながらそぞろ歩くなど、何ていうか眠たくなるシーンのものが多かった。もちろんカンボジアの音楽に詳しくない僕が感じただけだが、そうかと思えば突然ロック音楽が鳴り渡り、一転して置屋内部がディスコに早変わったりした。そちらの映像については記憶にないが、カムリが言うには、「タイソング」とのことだった。隣国なのだからカンボジアでタイの音楽を耳にしたところで不思議でもなんでもないが、タイでカンボジアの音楽に触れたことは、少なくとも僕はない。これも一種の力関係だろうか。<br />
&nbsp;<br />
　日本の周辺を見るまでもなく、おしなべて隣国同士というのは仲が良いとはいえない。だから国が分かれたともいえるが、カンボジアでいうなら、この後ベトナム人の悪口を何度か聴かされることになる。タイについては悪く言う人に会った記憶はないが、それでも国境にある遺跡の所有を巡る小競り合いなど、いくつか問題があるようだ。<br />
&nbsp;<br />
　しかし日本でも一部マニアに人気があるが、タイのポップシーンはカンボジア人の心をガッチリ摑んでいるように見えた。のちの話になるが、センモノロムの宿の若い男性従業員の口から、「アイライクタイソング！」というのを聞いたことがある。その宿に附属するレストランでは、終日タイ音楽が流れていた。嫌日を露骨に現しながらも日本のアニメやポップスに魅力を感じる、韓国人みたいなものだろうか（冗談ですよ）。<br />
&nbsp;<br />
　さて。三時間ほどの宴の対価は、しめて５０ドルとなった。明細にはビールやフルーツやカラオケ機器使用料のほか、カムリの名前が刻まれているに違いない。が、これで一日が終わったわけではなかった。今宵も奴は、「毟り取り気満々」である。<br />
&nbsp;<br />
　旅の序盤の散財が気にならなくもないが、「後は節約に徹すればいいだけだ・・・」などと、根っからのスキモノは言い訳する。それはそうと、「分割払い」を忘れないと。<br />
&nbsp;<br />
　たぶん次がラスト。]]> 
    </content>
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    <id>lovelylife.or-hell.com://entry/83</id>
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    <published>2012-03-05T02:02:09+09:00</published> 
    <updated>2012-03-05T02:02:09+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その８　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　今ひとつ観光名所に乏しい印象のあるココンだが、街の散策やコン島へのダイビングや、ましてやチキンファームは別として、一応いくつかの名勝はあった。そのうちのひとつがタタイ滝で、ココンに泊まる羽目になった旅行者にとって、唯一の時間潰しといっていい。<br />
&nbsp;<br />
　ところで調子のよい小太りカムリ。プノンペンに妻子を残したまま、「単身赴任」をしているとのことだったが、一体どういう経緯でココンで、&rdquo; hooker &ldquo;に成り果てたのか。興味があったので訊いてみると、「金になるから・・・」ということだった。当たり前か。<br />
&nbsp;<br />
　まずは町工場のような所に立ち寄り、愛車のメンテナンスとなった。これからどういう処に連れていかれるのか分からなかったが、やはり手入れは必要なのだろう。赤土が眩しいココンの街並みを見渡す限り、郊外への道のりなど大体想像がつく。<br />
&nbsp;<br />
　次に買出しとなった。本日はピクニックゆえ、菓子類やビールなどを調達するわけだ。ところでハッキリさせたいのだが、これは俺が払うのか？　カムリに訊くと、「これがカンボジアスタイル！」などとのたまう。はい。<br />
&nbsp;<br />
　次に女の調達となった。本日はピクニックゆえ、男だけで行くのは面白くないというわけだ。ところでハッキリさせたいのだが、これも俺が払うのか？　カムリに訊くと、「その必要はない」とのことだった。訳の分からん連れ出し料など課せられたら目も当てられないと思っていたが、意外としっかりしていたので感心した。<br />
&nbsp;<br />
　で、カムリが向かった先は、予想を裏切らず知り合い（ある意味知り合いかもしれないが）でも友達（ある意味友達かもしれないが）でもなく、近場に位置する置屋群だった。やはりこのパターンか。<br />
<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img450.jpg" target="_blank"><img alt="img450.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1330878442/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　到着するや否や、女性達が笑顔で飛び出してきた。「何々？　何か面白いことあるの？」といった感じだろうか。すかさずカムリが、「これからタタイに行くぞ！」（雰囲気訳）と声を上げる。<br />
&nbsp;<br />
　時間にして午前１０時くらいだったろうか。置屋はすでに営業していた。とはいえ客足はなさそうで、暇を持て余した嬢達が、次々とフロントガラスに擦り寄ってきた。見れば皆、普通の女の子だ。<br />
&nbsp;<br />
　カムリが二人の女性を選び出発。組み合わせはよく分からないが、一応カップルが成立した（ここから先は、かなりアレな話です。自信のない方は読まない方がいいです）。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　このブログでも何度か書いたが、嘗て９０年代の初め頃にタイ北部のチェンライという街で、それはそれは怠惰な日々を過ごしていた。やることといえば同宿者との無駄話と、空港と称される置屋部落に通うくらいだった。<br />
&nbsp;<br />
　ある日の夕刻。別に義務ではなかったが、暇を持て余す一日のイベントのひとつという感じで、空港に足を向けた。適当な店を覗くが、カウンターの向こうに整然と並ぶ、白を強調した女性達の化け顔に食指が湧かない。で、踵を返し立ち去ろうとすると、店の男が駆け寄ってきて、「こっちこっち・・・」と秘密めいた感じで、こちらの手を引っ張った。<br />
&nbsp;<br />
　男に手を引かれるままに、風呂無しトイレ共同靴脱ぎアパートみたいな置屋の内部に入った。もちろん何度も足を踏み入れたことがあるので、間取りに対する違和感とかカルチャーショックなどはなかったが、男が得意気に扉を開けた一室の光景には、タイ買春には慣れているつもりだった僕でも度肝を抜かれた。<br />
&nbsp;<br />
　狭い個室には十人くらいだろうか、少女達が一つの寝台に座っていた。二列に並び、前に五人くらいが腰掛け、後ろの半分は胡坐だった。元々東南アジアの女性は実年齢より幼く見える向きはあるが、そこそこタイ歴があった僕から見ても、少女達は明らかに児童だった。本人に年齢を確認したわけではないが、心証では１４歳未満といった感じだろうか。さすがに風当たりが強くなったのだろう、別室に待機していたわけだ（あくまで僕の心証ですが、９０年頃から欧米のＮＧＯなどが、タイの風俗産業は問題アリとして関与してきました）。<br />
&nbsp;<br />
　何より気色悪かったのが、無表情な少女達の顔色だった。白粉を塗りたくった顔面に真紅の唇という児童の貌は、べっとりという言葉が当てはまり、この間一分くらいだろうか、引っ張ってきた男を無視し、さっさと部屋を後にした。。これは僕だけが感じているのかもしれないが、男でも女でも子供の化粧は気持ちが悪い。<br />
&nbsp;<br />
　噂には聞いていたが、児童買春の現場を見たのは初めてだった。本当にありましたね、少なくともあの頃は。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　カムリが選んだ女性の一人は、どこから見ても児童だった。いや、児童と言うのは言い過ぎだが、行っていたとしても１６歳くらいだろうか。「ちょっと、あの子・・・」という感じで小太り野郎に訊くと、「処女だよ」と事も無げに言う。あのさ・・・<br />
&nbsp;<br />
　でも高いんだよ。高いって・・・？　正確には覚えていないが、日本円で十万円くらいだったと聞いた。<br />
&nbsp;<br />
　で、アンタやるつもりなの？　金がないよ。確かにそうだろうな。カムリは買えても処女を買う金はないか（カムリの方が高い気がするが。もっとも車の方が元は取れるか）。せめてピクニックでイチャつきたかったのだろう。<br />
　<br />
　どんどん浮世離れしてゆく旅の一日が始まった。面白いね、色んな意味でアジア旅行は。<br />
&nbsp;<br />
　続く。]]> 
    </content>
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    <published>2012-03-01T17:39:48+09:00</published> 
    <updated>2012-03-01T17:39:48+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その７　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　他のカンボジアの街と同じく、州都といえどもココンの夜の通りは暗かった。少しあとの話になるが、この旅でカンボジアからラオスに入った日の夜に小船でドンデットという島に向かったのだが、漆黒のメコンから見たドンデットの村のあまりの眩しさに度肝を抜かれた。電力に関してはラオスもカンボジアと似た感じで、一部の都市を除いて夜が明るいとは言いがたいが、河に面して色とりどりの電飾が施されたバンガローやレストランが連なるさまは、ひょっとしたらラオスで電力が一番普及しているのは、このド田舎ドンデットではないかと思ったほどだ。暗かった道中の後ゆえ感じたのかもしれないが、外貨のみならず電力まで齎したツーリズムの凄さを改めて感じたものだ。<br />
&nbsp;<br />
「第一戦」を終え、再び身震いしながらの冷水を浴びたのち、腹が減ったと彼女が言うので夜食という運びとなった。てっきり裸電球の下でクイティオでも啜るのかと思ったが、彼女に案内された店はライトアップされたレストランバーという感じで、プール台で戯れる薹が立った白人の姿と、その年齢層に合わせたのか薹が立ったアメリカンポップスが流れる空気は、ある意味インドシナ旅行の定番ともいうべき場所だった。外国人が行き交うわりには今ひとつツーリズムの盛り上がりに欠けるココンだったが、それでも旅行者の行き場があったという感じだろうか。<br />
&nbsp;<br />
　英語というよりクメール語が併記されたメニュー（クメール語の方は注文を取る従業員用か？）から選んだバーガーアンドチップスなんぞを喰らいながら、今日で何本目かは分からなくなったアンコールに浸る。冷静に考えると一本二～三ドルほどの瓶ビールは、他の物価に比べそれほど安いというわけではないが、熱帯アジアに来ると気候のせいもあり、とにかくビールが進んでしまう。際限のない暴飲もまたアジア旅の魅力のひとつで、日によっては酒代が宿代を上回るといった不可思議な気分を味わえる。３ドルの部屋に泊まり３ドルのビールを飲みながら、節約旅行とは何ぞやとか。<br />
&nbsp;<br />
　昼間から蓄積されたアルコールのせいもあり泥酔に近かったので、レストランでのことは僅かしか憶えていない。唯一記憶にあるのは店内を流れるＢＧＭにドゥービーブラザースをリクエストしたら従業員の女の子には意図が通じず、馴染み客風の白人の男が間に入ってくれたが、やっぱりなかったことだ。ビージーズが流れていたので客層に合わせた店のコレクションにはあると思ったが、意外と言うか当てが外れた。<br />
&nbsp;<br />
　しかし夜食を終え宿に戻り、「第二戦」を終え身震いシャワーを浴びたあとのことは鮮明に憶えている。実際に泥酔も飛んでいくような予想もしなかった展開で、ある意味初体験だった（この先は内容がアレです）。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　濡れた身体を拭きながら足踏みするように両足をバタバタさせて、彼女が何か言った。単純に寒いからだと思ったが、その飛び跳ね方が尋常ではない。そして顔をしかめ股間を指し、痛いといった素振りを見せた。<br />
&nbsp;<br />
　よく分からん。醒めた目で見ながら如何にもアクトレスという感じがしたが、そうはいっても痛みが本当だったら大変なことだ。痛いところを衝いてきたなと思わなくもなく、君はストロングではなかったのかと言いたくもなかったが（冗談ですよ）、しかし股間が痛いって何だ？<br />
&nbsp;<br />
　そして予想通り、「帰りたい・・・」という展開になった。これはもう仕方がないことだ。代わりに別の女性を選べばいいとも言うが、新たに料金が発生するのは目に見えている。それにこっちはストロングじゃないし。さようなら。<br />
&nbsp;<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img439.jpg" target="_blank"><img alt="img439.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1330588091/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　翌朝食い扶持を求めて颯爽と現れたカムリに昨夜の顛末を話すと、この小太り野郎は大笑いして言った。「はじめに全額を払ったからだよ！」<br />
&nbsp;<br />
　何だそれ？　聞けば彼が言うには、オールナイトの場合は最初に半分の額を払い、残りは次の日の朝に、直接女に渡せば間違いないとのことだった。<br />
&nbsp;<br />
　これは初めて知った。「だったら最初っから言えよ・・・」と思わなくもなかったが、しかしタイやカンボジアも含めて、これまで数え切れないくらいオールナイトを経験してきたが、帰り際のチップなどは別として全額前払いし（バーやストリートなどの場合は別）、それで問題が起きた記憶はない。置屋での分割払いというのは初めて聞いた。<br />
&nbsp;<br />
　嘗て９０年代の初めにチェンライにいた頃に聞いた話だが、ある初老の日本人男性がゴーゴーバーから女を連れ出したそうな。前払いしたらしいが、ところが深夜零時を過ぎた途端に日付が変わったとかで、女からもう一晩分の料金を要求された。日本人らしく律儀な男性は払ったが、その話を聞いて腹が捩れるほどに笑った記憶がある。これも分割払いにしていたら防げたということか。<br />
&nbsp;<br />
　どちらにしても人のことは嗤えない。その報いが、まさか１５年後に自分に降りかかってくるとは思いもよらなかった。決して推奨するわけではないが、連れ出しに於ける分割払いというのも、一種の適正防御として留保したほうがよいかもしれない。<br />
&nbsp;<br />
「よし。今夜は別の所へ行くとして、今日はタタイに行くんだよ」と当然のようにカムリが言った。もうすっかり僕のガイドになったようだ。ケツの毛も毟られるような蟻地獄に嵌ってゆくマゾヒスティックを感じと自棄も、非日常を味わう旅の醍醐味といえる。「どっちにしても安いんだし・・・」という言い訳とともに。与えられた旅の一日が始まった。<br />
&nbsp;<br />
　まだココンの話は終わりません。]]> 
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    <published>2012-02-26T23:56:07+09:00</published> 
    <updated>2012-02-26T23:56:07+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その６　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　今さら断るのも何ですが、このブログにはアダルトコンテンツが含まれます。<br />
&nbsp;<br />
　電気を点けても薄暗い部屋ということもあったかもしれないが、改めて見る１７０センチくらいの彼女の肢体は、嘗てナイロビのディスコで何度も目にした、「踊るマラヤさん」そのものに見えた。あくまで僕の心証だが、肌の黒さがインドシナ人のそれとは明らかに違っていて、思わずアンタックやベトナム戦争を連想してしまった。アメリカ兵の祖父とかＵＮ関係者の父とか。<br />
&nbsp;<br />
　もっとも彼女がそうだったと言うわけではないが、市井の人と同じく売春婦に混血（便宜上こう表現するが、好きな言葉ではありませんよ）の人がいたところで不思議でもなんでもない。もちろん多数派ではないものの、アフリカでいうならナイロビで遊んだ色白のキクユ女性は父がアメリカ人とのことだったし、ダルエスサラームのディスコでアピールを仕掛けてきた女性は、はじめインド人かと思ったが、母がメルーで父がヨーロッパとのことだった。またベイラ（モザンビーク）の野外レストラン風ディスコで外国人に盛んに声を掛けていた女性達の中には、確証はないがポルトガル人の血が入っていると思われる、髪と肌の色が若干薄い人が何人かいた。<br />
&nbsp;<br />
　あまり目立たないが東南アジアも似た感じで、タイではハジャイのＭＰにいた色白女性から、「お父さんはオーサカ（大阪の人？）」と言うのを聞いたことがある。またヤンゴンから来たというメーサイの置屋嬢は父親が中国人とのことで、自分の名前を記号がかった漢字で書いて見せてくれた。そしてプノンペンの例のキャバクラ置屋群では、薄白い金髪のアメラシアン女性を見たことがある。<br />
&nbsp;<br />
　こういった見聞から、その国の歴史とか文化を自分なりに探るのも旅の愉しみでしたね。何かと評判のよろしくない海外買春だが、それなりに学ぶところはあるわけですよ。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　外国人であるこちらに気を遣っているのか、「アイムストロング！」と力強く言い上に乗ってくるクメールマラヤさんと縺れながら、考えてみれば、「英語でセックス」したことがほとんどない自分に気づいた。のべにして八年以上になる海外滞在の中で白人女性と部屋をシェアしたことは何度かあるが、残念ながらそういう展開にはならなかったし、それ以前にこちらにもそういう欲求が起きなかった。このブログの読者の中には、「コイツは女キチガイだな・・・」と思われる方がいるかもしれないが、無理に否定するつもりはないが、他の女性旅行者に対して性欲を感じたことは一度もない。<br />
&nbsp;<br />
　もっとも白人女性というなら、「やったこと」はある。もちろん何れも風俗で、今は知らないが９０年代の鶯谷（東京都台東区）には、金髪という文句を前面に押し出したデリヘルがいくつかあった。どういうわけかスペイン人が多かったが、帰国しても国際風味と置屋遊びが忘れられない致命的な症状にあった僕は、料金をアジア貨に換算して溜息を吐きながらも何度か通ったものだ（逆に言えば、それが次の旅に向けての意欲になった側面がある。アホと思われるかもしれないが、怠惰な旅から帰った身でも、勤労意欲が萎えることはなかった）。<br />
&nbsp;<br />
　しかし女性達との会話は日本語だった。さすがは外語が通じない、「困ったジャパン」というか、金髪ナントカ（実際には金髪度が怪しい嬢も少なくなかったが）の女性達は、おおむね日本語が達者だった。もう少し話を脱線させると、２０００年代に入って鶯谷を席捲しているのは熟女ナントカに加え、圧倒的に韓国出張といっていい。韓流といえば冬のソナタが始まりといわれているが、僕にとってはどう考えても鶯谷としか思えないわけで、これもアジア貨に換算し溜息を吐きながらも行ってみた。<br />
<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img434.jpg" target="_blank"><img alt="img434.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329229512/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 338px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　言うまでもなく韓国出張嬢との会話も日本語だった。これはもう力関係といった感じで、外語が通じない日本というのは、ひょっとしたら物凄いアドバンテージではないかと最近になって思うようになった。こう考えると愛国心が日本とは比べものにならないくらい高いように見えるアジア諸国だが、その安易に英語に阿る姿勢が、ひどく薄っぺらく見えてくる気がする（もちろん一部の国に対する心証ですよ）。<br />
&nbsp;<br />
　もはやココンでもカンボジア旅行記でもなくなった感があるが、まだまだ続きます。<br />
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    <published>2012-02-22T20:41:17+09:00</published> 
    <updated>2012-02-22T20:41:17+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その５　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　Ｔシャツに巻きスカートという出で立ちからカンボジア人だったと思うが、薄化粧なのか白みと紅みが差した女主人の厳つい顔立ちは、女将というより女衒（ぜげん　「げぜん」ではありません。初めて知った）といった感じだった。欲深さが滲み出ている容貌で、この人の歩んできた人生が見て取れるような気がしたが、やはり客商売とはいえ何時もニコニコとはいかないのだろう。<br />
&nbsp;<br />
　対する客のタイ人？の方も、置屋遊びにありがちなヘラヘラした調子は全くなく、何ていうんだろう真剣勝負に挑んでいるような雰囲気を醸していた。服装は冴えなかったが高級そうな車といい、それほど金に余裕がないようには見えなかったが、カンボジア人になめられてたまるかといったところか。<br />
&nbsp;<br />
　しかし最も興味深かったのは、言葉は分からなかったものの、客に向けての女将による、「商品説明」だった。女将は連れてきた嬢のひとりひとりの髪を鷲摑みにし、そのままの状態で（おそらくは）女性の年齢や特徴などを説明するのだ。その間、髪を摑まれた女性達は愛想を振舞うでもなく、無表情に立っているままだった。<br />
&nbsp;<br />
　まるで兎の耳か、猫の首根っこを摘んで上へ持ち上げているようにも見えた。まさに家畜扱いという感じで、ひょっとしたら売春婦が鶏というのは、ここから来たのではないかと思ったほどだ。いうならば女衒の娼妓に対する扱い方というか。<br />
&nbsp;<br />
　実は漢語から来たとされる売春婦イコール鶏というのは、単純に従事者のありようから来たと思っていた。一部の経営者や用心棒などを除いて、おおむね娼館というのは女性の職場といっていい。自宅から通っている人もいたかもしれないが、大抵の場合は住み込みである。よって昼も夜も姦しく匂い立つ雰囲気が、単純に養鶏場に例えられたと思っていた（加えて住み込みといえば聞こえはいいが、囲われというか囚われの環境にあるという見方も出来る）。<br />
&nbsp;<br />
　真相（あればの話だが）は分からないが、どちらにしても現代の尺度では、品のいい比喩ではありませんね※。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　やがて彼らが女性を連れ去り、クメールマラヤさんとのやり取りも間延びした感じになっていた頃、タイミングよく小太りカムリが戻って来た。彼が言うには女将に追い出されたらしい。到着早々ずけずけと店のハンモックに寝そべり、「顔」をひけらかしていたように見えた彼だが、そうでもないらしかった。<br />
&nbsp;<br />
　そろそろ行こうという感じでカムリが提示した額は、切れのよい１５００バーツだった。外国人料金がとかく切れがよいのは、タイのＭＰ（マッサージパーラー）と似た感じか。数字の切れといえば、また昔の話で恐縮だが、一度バンコクのＭＰに行った時ぼられてなるものかと最小限のタイ語でやり取りを済ませキャッシャーに向かうと、１バーツ単位の細かな数字が書かれた請求書が提示されたことがある。噂に聞いていた額より安かったこともあって、これが本当の料金かと思ったものだ。<br />
<br />
　比較するのも馬鹿な話だが、どうしても花代の基準がタイになってしまう僕としては、オールナイトで１５００という数字は、たとえマージンが発生したとしても妥当な額だった。またまた昔の話になるが、９０年代前半のハジャイのカラオケ置屋のカンクン（正式なタイ語は知らないが、ここではオールナイト）は、どの店も判を押したようにパンハーロイだったのを思い出した。<br />
&nbsp;<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/6127d982.jpeg" target="_blank"><img alt="6127d982.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329910168/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 337px; height: 499px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a>&nbsp;Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　熱帯アジアとはいえ、一月の夜の水シャワーはきつい。今朝のチェックインの際に部屋の綺麗さばかりに目が行ってしまい、ホットシャワーを確認しなかったのが悔やまれた。ココンは山岳地帯ではないので、温水の必要などハナっから考えていなかったが、ノズルから出る水は思いのほか冷たかった。二人で身震いしながら洗いっこし、二人で身震いしながら拭きっこするさまは、苦行の始まりといった感じだった。<br />
&nbsp;<br />
　そして苦行というわけではないが、苦痛というか、甘くなるはずの夜が経験したこともない苦い展開になるとは思いもしなかった。<br />
&nbsp;<br />
　まだまだ修行が足りませんね。詳細は次回へ。<br />
<br />
<br />
※　と思っていたのですが、さらに調べてみると興味深い記事に当たりました。<br />
<br />
『朝日新聞に莫邦富（モーバンフ）さんの面白い記事がありました。年賀状に雌鳥の絵を載せるのはまずいというのです。中国語で鶏と妓は発音が同じでジーです。それがいつのまにか「鶏」が売春婦のことになってしまったのです』<a href="http://www.ikn.co.jp/hiroba/kokekokkou/kokekokkou2.html" target="_blank">（にわとり雑学博士のこけこっ考）</a><br />
<br />
　事実とすれば意外と単純なことだったのですね。こちらの考えすぎだったか（２月２８日追記）。<br />
<br />
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    <published>2012-02-21T22:33:04+09:00</published> 
    <updated>2012-02-21T22:33:04+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その４　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　たまたまなのか人気があるのか、諸般の事情で輸入車が限定されているのかは知らないが、この時のカンボジアの旅では、やけにカムリが目に付いた。初めの頃は気づかなかったが、この夜に乗り込んだのもカムリなら、今朝の国境からのタクシーもカムリだった。<br />
&nbsp;<br />
　もっとも外国車については分からないが、アジアの国で同一か似た車種の日本の車やバイクが走っていることは珍しくない。おそらく部品の調達とか現地工場の生産能力の関係だと思うが、僕は日本でも中型バイクを所有していたこともあって、つい旅先でも四輪より二輪に目が移ってしまう。たびたび話が脱線して恐縮だが、初めに海外で見たバイクを巡る思い出話をいくつか。<br />
&nbsp;<br />
　初めてバンコクに行った８６年に渋滞する路上で目に付いたのは、ＧＴＯと記された見たこともないカワサキの小型バイクだった。カラーバリエーションはいくつかあったが、いかにも２サイクルといった感じの甲高いエンジン音を轟かせながら疾走するＧＴＯ群を見て、その判を押したような画一的なさまに、ちょっとしたカルチャーショックを受けたほどだった（少し気になって調べてみたのですが、何と正体はＫＨ１２５のようです。<a href="http://www.geocities.jp/motohiko01/KH125top.html" target="_blank">タイカワサキＫＨ１２５（ＧＴＯ）</a>）。<br />
&nbsp;<br />
　初めてヨーロッパ（といってもギリシャだけだが）に行ったのは９２年の夏で、アテネの街は各国からのツーリングの若者達で賑わっていた。ここはヨーロッパなのだから本場の外車が見れるぞとワクワクしたが、期待に反してＢＭＷもモトグッチもおらず、肩透かしを喰らった記憶がある。唯一見たのは、いつ行っても同じ場所に放置されているように停まっていた、汚れた小型のドカティ一台だけだった。さらに若者達が乗っていたのは圧倒的にカワサキのニンジャだったので、欧州車は欧州では人気がないのかと不思議な感じがしたものだ。<br />
&nbsp;<br />
　ペダルが付いたバイクを初めて見たのは、８９年のインドだった。仕組みはよく分からなかったが、髭面の太っちょがペダルを漕ぐさまがふざけているように見えて、思わず笑いを噛み殺すこともあった。底が浅いんだか深いんだか分からないインド独自のものかと思ったが、後に出会ったヨーロッパから来た日本人によると、このペダル付きバイクはイタリアでも頻繁に見かけたとのことだった（これも気になったので調べてみましたが、どうやらモペッドと呼ばれる車両の総称のようです。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%89" target="_blank">モペッド／ウィキペディア</a>）。<br />
&nbsp;<br />
　９６年のインドではホンダ車も見かけたが、なぜかＨＯＮＤＡのロゴの上にＨＥＲＯと記されていた（ヒーローホンダ？）。カジュラホで出会った日本人旅行者が所有していたもので、彼によると乗り心地は悪くないとのことだったので、たぶん本物のホンダだったと思う。日本車といえば仰天したのが、９０年の雲南の田舎で見かけたホンダＶＴ２５０Ｆ。一体どういう経路で入って来たのか分からないが、香港からの密輸かなどと思いを巡らせたものだ（これも調べましたが、ヒーローホンダは地元企業とホンダとの合弁会社のようです。ＶＴについては分かりません。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80" target="_blank">ヒーロー・ホンダ／ウィキペディア</a>）。<br />
&nbsp;<br />
　しかし日本車で一番インパクトが強かったのは、９８年頃にヤワラー（バンコク）の路地に停まっていたヤマハＳＲＸ４初期型（タンクが抉れてないヤツ）を見た時だ。これも輸入経路が気になったが、このころ正に日本でもＳＲＸ４初期型に乗っていたので感動モノでしたね。<br />
&nbsp;<br />
　はい。ココン初日の夜の話に戻ります。<br />
<br />
<hr />
<br />
&nbsp;　何しろ暗かったので何処をどう走ったのかは覚えていないが、着いた所がチキンファームではないことだけは分かった。置屋というよりいくぶんライトアップされた野外レストランといった感じの場所で、表に出されてあったテーブルに着くと、すかさず笑顔の女性が隣に座り、身体を摺り寄せてきた。いわば輪番制である。<br />
&nbsp;<br />
　もちろん全ての店がそうだと言うわけではないが、どちらかと言うとタイに比べてカンボジアの置屋は、この輪番システムを採っている所が少なくなかったような気がする。一般にタイの置屋というと複数の女性達がガラス越しか直に居並び、客は任意の女性を選ぶという方式で、この間客と女性達との会話はまずない（例外はありますよ）。それに比べて９０年代に遊んだプノンペンの置屋では、カフェスタイルというかキャバクラというか、客が店内に入ると女性の方から寄ってくることが珍しくなかった。輪番というのは客の人数に合わせて来る女性の優先順位が、どうやら決まっているらしいということだ。<br />
&nbsp;<br />
　もちろん楽しいのはキャバクラスタイルのカンボジアの置屋である。嘗てタイからカンボジアに多くの買春旅行者が流れていったが、理由は低価格やベトナム女性の美貌に加え、どちらかと言えば暗い感じのするタイの置屋より、遥かに明るいカンボジアのそれの雰囲気が占める部分が少なくなかったように思う。あとはジュライの閉鎖と茶室の激減か。<br />
&nbsp;<br />
　因みに輪番制といっても、あてがわれた女性が気に入らなければ他を選ぶことは可能だったが、その必要はあまりなかった。あの頃のプノンペン置屋はアイドル軍団といった感じでしたね、個人的には。<br />
&nbsp;<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img426.jpg" target="_blank"><img alt="img426.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329305648/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 338px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　コチョールの懐かしい生姜風味に浸りながらふと見ると、僕を連れてきた小太りのカムリは少し離れた所でハンモックに寝そべり、もうすっかり寛いでいた。今日の儲けは確保できたし、あとは好きにやってくれといった感じだろうか。<br />
&nbsp;<br />
　プノンペンから来たという隣に座った女性は、カンボジア人にしては背が高く、アフリカ系かと思うほどに肌が黒かった。縮れ気味のショートカットにクリッとした眼の横面長の顔立ちで、こちらが外国人だからという理由であてがわれたのかは分からないが、さかんに流暢な英語でアピールしてくるさまは、クメール人置屋嬢というよりキクユのマラヤさんという感じだった。<br />
&nbsp;<br />
　それにしても客が付かなくなって今日で何日目かと疑わせるほどに、クメールマラヤさんのアピールは積極的だった。ほぼ半身を密着させ、こちらの手を握りながら終始笑顔でまくし立てるさまは、ひょっとしたら自分は気に入られたのかと勘違いしそうになるくらいだった。主人や他の嬢の手前、内心かなり焦っていたのかもしれない。<br />
&nbsp;<br />
　と、その時。暗がりから一台の高級そうな４ＷＤ車が来て、店の前で止まった。中から二人の中年男が出てきたが、彼らは店の中に入ろうとせず、店の方に向かって車に凭れかかり、笑顔を見せることなく腕を組んで立ちつくした。二人ともサンダル履きのラフな格好だったが、やけに態度が居丈高で、確証はないがカジノ帰りのタイ人だと思った。<br />
&nbsp;<br />
　やがて四五人の嬢を連れた女主人が中から出てきた。客を迎える状況だと思うが、主人にも笑顔はなかった。これは見ものである。<br />
<br />
　まだ続きます。]]> 
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    <published>2012-02-19T21:04:36+09:00</published> 
    <updated>2012-02-19T21:04:36+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その３　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　少しややこしいが、カンボジアでココンと呼ばれる場所は少なくとも二箇所ある。クメール語の正式名称は知らないが、まずココン州というのがあり州都がココンで、一般にココンというとこの街を指す。それとは別に沖合いにはカンボジア最大の島があり、これもココンという。この旅で携帯したガイドブックでは識別上のためか、本土にあるココンを&rdquo; Krong Koh Kong &ldquo;、島の方は漠然と&rdquo; Koh Kong &ldquo;と記してあった。<br />
&nbsp;<br />
&nbsp;　ビーチでの読書と飲酒が何より好きな僕にとって気になるのは、島の方のココンである。コ（koh）が島という意味であることと、州都のココンとの識別も含めて、コン島と呼んだほうがいいかもしれない。しかし残念ながら、そして有難いことに、島の観光開発は全く進んでいない。ここに限らずカンボジアの沿岸部には、旅人的には美味しそうな大小さまざまな島があるが、僅かにツーリズムが訪れているのはシハヌークヴィル近郊の島々と、ケプの沖合いにあるトンサイ島くらいである。<br />
&nbsp;<br />
　実話かどうかは知らないが、１９７２年にバンコクからココナッツを運ぶ交易船に乗ったピースコープのメンバーが上陸したのが、聖地コサムイの始まりと言われている。その後、口伝てに島の素晴らしさが旅人達の間で広まり、やがてガイドブックにも取り上げられ、今日では外国人はもとよりタイ人までもが訪れる一大リゾート地になったと勝手に推測している。因みに英文のサイトでは、彼ら初めてサムイ島を訪れたピースコープのメンバーを、&rdquo; The first foreigner &ldquo;と称しているのが興味深い。この場合は白人旅行者という意味だと思うが、すでに１６世紀頃には中国との交易もあり、第二次大戦中の一時期には日本軍が占領していたと書いているにもかかわらずである（History of Koh Samui/Essential Travel.co.uk）。<br />
　<br />
　もっとも僕も、つい白人を十把一絡げ（じっぱ・ひとからげ。「じゅっぱひとかけら」ではありません。初めて知った）で見てしまうことがあるので、それと同じく白人の側から見れば、アジアの国を訪れた別のアジアの国から来たアジア人など、&rdquo; foreigner &ldquo;のうちには入らないのだろう。<br />
&nbsp;<br />
　話が脱線したが、コン島がそうだと言うわけではないが、カンボジアの沿岸部には、「ピースコープが訪れる以前のコサムイ」が山ほどあるような気がする。実はこの時の旅でも、「コン島が観光開発されるのも時間の問題だな・・・」と考えていた。同じ時期に行ったモンドゥルキリやラタナキリでは、最新のガイドブックにも載っていない新しいゲストハウスがいくつもあり、「いよいよカンボジアも本格的かつ国全体にツーリズムの波が押し寄せてきたか・・・」などと感じたこともあった。<br />
&nbsp;<br />
　しかし沿岸部の島々については、今のところ予想は外れている。理由は分からないが、コン島に限って言えば日帰りのツアーで訪れることは出来ても、未だにバンガローなどの宿泊施設がないようだ（あくまでネットで仕入れた情報です。２０１２年２月現在）。おそらく他の無名の島々も似たり寄ったりの状況だと思う。ならば自分が（アジア人だが）、&rdquo; The first foreigner &ldquo;になってやろうかなどと意気込んでしまうが、一番の問題は金と時間がないことと、もう一歩足を踏み入れる勇気が足りないことですね。<br />
<br />
<hr />
&nbsp;<br />
　さて。念願ではないものの話に聞くチキンファームにも行ったし、街の散策も一通り終え写真もいっぱい撮った。もうココンではやることがないし、明日にでも出ようかなと思いながら、昼間と同じく宿のレストランに夕食を摂りに行った。全体的に胡散臭さがないとはいえない宿だったが、レストランにはテーブル席のほか寛ぐには満点の座敷もあり、プール台が置かれているなどハイカラな雰囲気は良く、宿泊客だと思うが上品な感じの白人達でそこそこ賑わっていた。宿とのトラブルなど全く心配していなかったが、同じ環境にいる旅行者の姿を見ると何となく安心してしまう。<br />
&nbsp;<br />
　座敷が占領されていたのでテーブル席に着き、適当な料理を注文しアランドロンとアンコールに浸っていると、一人のカンボジア人の男が話しかけてきた。従業員でも宿泊客でもなく、ロンプラ用語でいうところの、&rdquo; hooker &ldquo;といったところか。彼らは外国人が集まるゲストハウスやレストランに出入りしている、一種の便利屋といっていい。<br />
&nbsp;<br />
　もっとも胡散臭さはあるものの悪人というわけではなく（中には悪い奴もいるが）、大抵はツアーの手引きから女性やハッパの調達までこなし日銭を稼ぐ、何ていうか憎めない感じの甲斐性なしタイプが少なくない。アジア個人旅行（男性に限ってかな？）の醍醐味の一つが、この種の人達との付き合いにあると真面目に思うので、さっそく話を聴いてみた。<br />
&nbsp;<br />
　人の良さそうな容貌で流暢な英語を操る小太りの彼は、いったい何を餌に引っ掛けてくるのだろうか。などと会話を愉しんだが、やっぱり結論は予想を裏切らず、「レディーボンボン」だった。<br />
&nbsp;<br />
<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/56693f38.jpeg" target="_blank"><img alt="56693f38.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329651972/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
&nbsp;<br />
　旅に出ると気が大きくなる。加えて低予算の旅とはいえ、序盤は懐がそこそこ厚い。昼にチキンファームに行ったものの、ダブルヘッダーなど日本にいては出来るわけがない。などなど酔った頭で自分に言い訳しながら、彼のカムリに乗ってみた。<br />
&nbsp;<br />
　続く。]]> 
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    <published>2012-02-15T20:54:08+09:00</published> 
    <updated>2012-02-15T20:54:08+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その２　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　英語の俗語で、&rdquo; chicken &rdquo;というと真っ先に思い浮かぶのが、「弱虫、臆病」といった意味である。前回触れたオンラインチェスのチャットでの常套罵り文句ともいうべきもので、僕も何度か言われたことがあった。大抵はクィーンの交換を渋ったり長考した時で、別に勝負から逃げていたわけではなかったが、相手からはそう映ったのだろう。<br />
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　しかし売春婦を指す隠語としての、&rdquo; chicken &rdquo;は聞いたことがない。もっとも売春婦ではないが、少し調べてみると、&rdquo; chicken &rdquo;には、「雛　雛鳥」といった意味があり（初めて知った）、そこから転じたのか、<br />
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『She is no (spring) chicken. 彼女は(もう)子供じゃない 《若くない, いい年だ》.』（エキサイト辞書）<br />
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という例文を見つけることが出来た。確かに最近ではあまり言わないが、日本語でも若手新入社員などを指して、「ひよこ」と言うことがあり、それと似た発想なのだろう。<br />
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『Older, less attractive girls will find themselves working in the one woman brothels as &quot;phoenixes&quot; (鳳), a term derived from the similarity of the Chinese word for prostitute to that of chicken (雞).』（Prostitution in Hong Kong/Wikipedia）<br />
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　どうやらこの辺りですね。英語が駄目ならあれしかないと探ってみたが、やはり漢語から来たようだ。因みにタイ語でも鶏（gai）が売春婦を現すそうだが（初めて知った）、これも漢語から来たような気がする。<br />
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　問題は中国ではなくカンボジアのあの場所がそう呼ばれるようになった経緯だが、これには東南アジアの管理売春の多くが中国人によるものとか、その中国人の経営者と客として訪れた白人がたまたま交わした会話で、「鶏イコール売春婦」というのが話題に出て、それを面白がった白人が流布したとか想像が広がる。そして、そもそも鶏がなぜ売春婦なのかと疑問がいくらでも湧いてくるが、もう切りがないので止めとく。<br />
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　尚、&rdquo; Chicken farm &ldquo;の&rdquo; farm &ldquo;について、隠語というか精神病院に対する蔑称として、&rdquo; Funny farm &ldquo;というのがあるが、これはまた別の話。<br />
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&nbsp;　旅立つ前に調べた情報で、チキンファームの存在そのものは知っていた。ついでに言えば地図上の位置とか、「おおよその相場」も調べてはいた。９０年代に遊び過ぎた為か、とっくに置屋関係には興味を失っていたが、そうは言っても知った以上は行きたくなるのが哀しい性である。「どうせ勃たなくなるのだから、せめて勃つうちに・・・」というのは真面目な話で、着いた初日の午後に早速行ってみた。<br />
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　英語とは無縁の暮らしをしていると思われるバイタク青年にも、「チキンビレッジ」は一発で通じた。「ジェントルマン」は知らなくても、「レディー」は分かるタイのトゥクトゥク親父みたいなものだろうか。にやけた青年が提示した料金は、往復で２０バーツだった。外国人料金としても、片道４キロくらいの距離的にはこんなものだろう。意外に安いかなとも思ったが、何某かのマージンが発生するのも常識といえば常識。部屋を安く提供し、附属するレストランでの食事で利鞘を上げる、タイのビーチバンガローみたいなものか（もちろん一部ですよ）。<br />
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　景色を楽しみながら歩いていくのも一興かなと思ったが、これは止めといた。地雷を踏むことはないにしても、強盗の可能性はなくはない。「タクシー代をケチって郊外にある売春宿に歩いて行く途中に襲われた・・・」なんてことになったら目も当てられないので、ここは素直に青年の後ろに跨った。<br />
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<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img440.jpg" target="_blank"><img alt="img440.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329229513/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
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　そのためだけに建てられたのか、元からあった民家が時代の流れで変貌したのかは知らないが、幅の広い赤土の両脇に高床の木造家屋が並ぶさまは、ありふれた東南アジアの村の光景そのものだった。僅かに違いがあるとすれば、家々の前で所在無げに過ごす女性達の出で立ちがドレスや短めのスカートを着用するなど、いくぶん洋装がかっていたことだ。分かる人にしか分からないが、昔チェンライにあった空港（飛行場ではありません）から、コンクリートとアスファルトを取っ払ったらこうなると思ってもらえばいい。一言で言えば、閑散。<br />
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　にやけたバイタク青年が提示した料金は、ショートで３００バーツだった。これにマージンが含まれていることは間違いないと思ったが、風俗価格高騰が続くタイの基準からすれば、かなり安いといえた。もうとっくにそんな時代は終わったと思っていたが、幻の国は未だ健在だったわけだ。<br />
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　身長が１５０センチくらいの清楚な感じの女性を選び（誤解のないように断っておきますが、児童買春ではありませんよ）、梯子みたいな階段を伝って個室に入った。木肌の壁に貼られたピンナップや、変に柄が入っている置き鏡の傍に並ぶシャンプー類など生活空間丸出しの部屋で、嘗て８０年代後半に足繁く通ったタイの地方置屋を思い出し、感慨深いものがあった。地域先進国タイと、タイと同じ轍を踏むカンボジアの差は、ざっと２０年だろうか。<br />
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　少し意外だったのは（元々下品な文章ですが、この先は下品さが増します）、頼みもしないのにフェラチオが含まれていたことだ。これがスタンダードなのかたまたまなのかは分からないが、お得感が増したのは言うまでもない。というのも内容によって料金に変動が出るのは、国や地域に関係なく風俗の世界では珍しくないからだ。<br />
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　今でもあるのかは知らないが、嘗てチェンマイに主婦の館とか呼ばれるニマンヘミンという置屋地区？があった。で、主婦と称する２０代後半の女性にお相手してもらったのだが、個室に入るや否や、「スモークマイ？」と訊いてきた。「それはもう・・・」という感じで鼻の下を伸ばしたが、「じゃあ５００バーツ」と初めに了承した金額に２００バーツ上乗せされ、うっとなった記憶がある。また２００５年に陽朔（ヤンシュオ）の按摩店に行った時も、「私は口でするから・・・」と身振り手振りで言われ鼻の下を伸ばしたが、「じゃあ５００元」と初めに了承した１４０元の三倍以上の金額を言われ、断固値切った記憶がある。<br />
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　もっとも９０年代中頃に遊んだプノンペンの風俗店では、口技そのものはスタンダードだった。これも日本人が教えたとか色々と囁かれていたが、結局のところ店の指針と女性の意思によるのだろう。後の話になるが、チキンファームでも、「ニャムニャム」はしないという女性もいた。<br />
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　まだ終わりそうにないので、ココンの話は続きます。<br />
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<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/c44a3b27.jpeg" target="_blank"><img alt="c44a3b27.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329305649/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 338px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
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    <published>2012-02-15T00:35:08+09:00</published> 
    <updated>2012-02-15T00:35:08+09:00</updated> 
    <category term="Cambodia 2007" label="Cambodia 2007" />
    <title>カムリと赤土　その１　カンボジア／クロンココン　２００７年</title>
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      <![CDATA[　数年前までアメリカヤフーのオンラインチェスにハマっていた時期があった。英語でのスラング混じりのチャットが面白く、&rdquo; hi &rdquo;などど国際人よろしくゲームを始めていたが、ひとつだけ意味が分からない言葉があった。&rdquo; ASL &rdquo;という語で、なぜか頻繁に挨拶で用いられていた。しばらくは分からないままに同じ語を返していたが、さすがに気になったので、ある時こちらが日本人で英語が分からない旨を明かした上で訊いてみると、&ldquo;&nbsp;Age Sex Location&nbsp;&rdquo;という答えが返って来た。<br />
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　日本語で言うなら、「住所氏名年齢職業」といったところだろうか。しかしなぜ挨拶で使われるのか。ひょっとしたら相手の事を訊いていたのだろうか。が、クェスチョンマークは付いていなかったような気がする。試しに差別語かと訊いてみたが（チャットでは罵詈雑言も少なくなかった）、&rdquo; No &rdquo;とのことだった。<br />
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　そのうちチェスにも飽きて、結局のところ分からずじまいだったが、もうひとつ意味が分かりそうで分からない言葉があった。チェスでのチャットとは関係ないが、&rdquo; Chicken&nbsp;farm &ldquo;という語で、なぜかその場所がそう呼ばれていた。<br />
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　２００７年に訪れた、カンボジアのクロンココンという街での話です。<br />
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　僕には珍しいことだが、この時の旅にはちょっとしたテーマがあった。「もうひとつのカンボジア」というもので、「アンコールやプノンペンだけがカンボジアではない。他にも魅力のある街や村がたくさんあるはず。ならばルート上にあるプノンペンはともかくアンコールワットは避けて、それらの地域を廻ってみよう」などと殊勝なことを考えていたわけだ。それで端から攻めようということで、シャム湾に面したタイのトラートから国境を越えて、十年ぶりとなったカンボジアの旅がスタートした。<br />
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　車が右側通行になったこと以外に、タイから違う国に入ったという実感はなかった。道は綺麗に舗装されていて、たまたま出会った日本人とシェアしたタクシーの乗り心地も、運転手の柄の悪さは気になるものの、すこぶる快適だった。しかし大きな橋を渡った瞬間に風景が一変した。赤土とバラックの連続である。<br />
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　国境を越えた途端に貧しくなったという感じだろうか。むかしケニアからウガンダに入った時にも似た印象があったが、砂埃を上げバラック（実際には普通の商店街だが、日本やタイから時を経ずに来た者の目にはそう映った）の合間を揺れながら徐行する車中にいて、はじめて違う国に来たという実感が湧いてきた。<br />
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<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/a1103f14.jpeg" target="_blank"><img alt="a1103f14.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329229510/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 338px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
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　馴染みの展開どおりに、タクシーは一軒のゲストハウスの敷地に入っていった。ここからが勝負である。案内されたダブルベッドにトイレとシャワーが付いた部屋は綺麗で、言い値は２００バーツだった（後に行ったパイリンもそうだったが、タイとの国境に接した街では、宿や食堂などでタイバーツが普通に流通していた）。僕が１５０と言うと、とんでもないと若い男主人が渋る。じゃあ他に行くよとリュックを担いだまま歩き出すと、「アイライクユー」と半笑い状態で主人が抱きついてきた。連れてきた運転手も焦って、「ここはレディーボンボンに最適な場所だ」などと援護射撃を放つ。<br />
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　勝ちが見えてきた。別にそれが目的で来たわけではないが、確かに連れ込みの環境は整っていた。本音を言えばここで良い。が、気に入った素振りを見せると勝ちが遠のくので適当に振舞っていると、あっさり１５０で落とすことが出来た。ところで一緒に来た日本人だが、彼は日程に余裕がなく、ココンには日帰りの予定だった。一段落して昼食という展開になったが、「彼（運転手）が知ってる店に連れてってくれるらしい」という日本人の申し出を断り、この宿でとることにした。ここで運転手との関係を絶ったほうがいいと考えたからで、もちろん日本人の彼に対して他意はない。<br />
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&nbsp;<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/img425.jpg" target="_blank"><img alt="img425.jpg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329229511/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 338px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
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　国境の街特有の猥雑さとは裏腹に、ココンの街には健全な雰囲気が溢れていた。健全な雰囲気というと語弊があるが、カメラを手に歩いていると、好意的な視線を送ってくる人が少なくなかった。だから僕が苦手とする、「人の写真」も撮りやすかった。カンボジア自体が人の写真を撮りやすい場所だと思うが、とりわけココンでの撮影散歩が一番印象に残っている。<br />
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　タイとの国境という地理条件ゆえ、ココンには多くの外国人が訪れる。しかし旅ブログなどを見る限り腰を落ち着ける旅行者は少ないようで、多くはシハヌークヴィルやプノンペンとを繋ぐ中継点と捉えているようだ。とはいえ滞在していると思われる外国人の姿がないわけではなかった。携帯を所有していたりバイクに乗っていたりと旅行者という感じはしなかったが、帰国してから調べてみると、パタヤなどタイで働いている人達がビザリニューアルのために来ることもあるようだ。<br />
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　そんな人達のためかどうかは分からないが、通りには外国人を当てにしたと思われるゲストハウスや、プールテーブルを備えたレストランバーが目に付いた。そしてそんな人達のためかは知らないが、かってのプノンペンを想わせるような感じの風俗店が辻々にあった（長年の勘というか哀しい性というか、その種の店は即座に目に付いてしまう）。そのうちのひとつが、やや郊外に位置する、&rdquo; Chicken&nbsp;farm &ldquo;だった。<br />
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　ようやく本題に入りましたが、長くなったので続きます。<br />
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<a href="//lovelylife.or-hell.com/File/160f0924.jpeg" target="_blank"><img alt="160f0924.jpeg" src="//lovelylife.or-hell.com/Img/1329229514/" style="border-bottom: 0px solid; border-left: 0px solid; width: 499px; height: 337px; border-top: 0px solid; border-right: 0px solid" /></a><br />
Krong Koh Kong/Cambodia 2007<br />
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    <published>2012-01-28T12:36:17+09:00</published> 
    <updated>2012-01-28T12:36:17+09:00</updated> 
    <category term="旅雑考" label="旅雑考" />
    <title>観光で見る現実　その２</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[　むかしアバという音楽グループが日本も含めた世界各地で人気を博し、その頃十代だった僕も夢中になって聴いたものだ。しかし彼らの出身国であるスウェーデンに対する関心は、僕が知る限り日本では深まらなかったと思う。もちろん僕も同じだった。なぜかと問われても窮してしまうが、耳障りの良いメロディに惹かれただけだったと言うしかない。<br />
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　ドゥービーブラザースやスティービー・ワンダーは今でも好きだが、だからといってカリフォルニアやアメリカ南部の黒人文化に興味が湧いたことはない。ビリージョエルに夢中になってもニューヨークに行きたいとは思わなかったし、フレディ・アギラの、「ＡＮＡＫ」がヒットしても、フィリピンという国には全く興味が湧かなかった。<br />
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　昨年は久しぶりに紅白歌合戦を通しで見て、殆ど知らなかったＫＡＲＡと少女時代に興味が湧いた。それで年明け早々ウィキで概要を調べ、次いでユーチューブやヨークコム（早くも紅白がアップされていた）を探って彼女達の動画を見まくった結果、「何でウィンターマジックを歌わせなかったのか？　ジヨンちゃんがエンディングに姿を見せなかったのは年齢のせいだったのか？　どのみち控え室にいるのだから、ひとり残されて可哀そうやないか！」などとＮＨＫに理不尽な怒りを覚えたほどだ（冗談ですよ）。とはいえ今のところ韓国を旅したいという欲求は起きない。<br />
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　どうなんでしょうね。外国の音楽には惹かれるが、その国には興味が起きないというのは。他の人のことは知らないが、僕にとって曲や歌い手が好きになることと、その出自は全く関係がないということか。<br />
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　観光も同じですね。ある人は博物館に興味を示すが、人の営みには興味を示さない。人の営みに興味を示す人が、その国の政治を知ろうとするとは限らない。異文化理解と言ったところで、結局のところ嗜好が全てという気がする。それで良いのでは？<br />
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